- 2015年11月22日
- テーマ: めがね, ヨシダの歴史, 今日のブログ, 今月のヨシダ
約半年の研修期間を終え、YOSHIDAに新たな仲間が加わりました☆
YOSHIDAの一員として迎え入れるため、ネームプレートを送ります。
彼の名は、小林 裕(こばやしゆたか)。27歳です。
なんとヨシダHPの社員募集を見てからの入社です。
今までは研修生でしたが、今日から晴れて正社員です。
配属はヨシダ門司港店になります。
優しい笑顔に柔らかな口調が特徴的で、休日には趣味のバイクを楽しむナイスガイです☆
主にメガネの業務につき、認定眼鏡士を目指します。
これからの成長が楽しみです。
皆さま、宜しくお願い致します。
昨年も一人若者が入社し、今回は小林君。
また新たに今、一人の若者が研修を積んでいます。
こうして若者が集まってくれることに感謝です。
- 2015年11月16日
- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 動物物語
2015年 11月16日です。ワンちゃん物語クロ・シロ編の後編です。
1993年 森永さんと私は車にクロ・シロを乗せて平尾台にキャンプに出かけました。
犬と一緒のキャンプという事に魅力を感じました。
平尾台山頂でクロ・シロを降ろして再び出発です。
若いクロ・シロは嬉しそうに車の後を走って付いてきます。
それはまるで少年時代、自分の自転車を楽しそうに追いかけてきたハチの姿を
思い出させました。犬の喜んで駆ける顔って良いですよね。
草原の中にテントを立てた頃、森永さんの奥様や友人も後から追いかけてきて
食事です。深夜までテントの中で楽しく語らってシェラフの中で眠りました。
明け方、クロ・シロの鳴き声で目が覚めてテントの外に出ましたら、
ちょうど朝日が上がる頃で素晴らしい朝の光を浴びました。
その時の写真が下記の写真です。
逆光で朝日は写っていませんが、素晴らしい朝日でした。
こんな山頂で全身に朝日を浴びるのは 初めてでした。
山頂に登る朝日をバックにクロの写真を撮った後、思わず手を合わせている自分がい
ました。
そしてこの瞬間から 私の運は再び良い方向に向かって行った様な気がします。
この日キャンプから戻って行った出張先の東京で、全くの幸運で150万円もする
世界でも最高峰といわれる紺のスーツを1/100の価格で手にする幸運に恵まれます。
そして、次から次へと私は幸運に恵まれてくるのです。素敵な妻とも出逢うのです。
翌年のキャンプにはクロ、シロと共に新しく知り合った妻も参加しました。
私の運命の転機はクロ・シロと共に浴びたあの朝日からだった様に 今でも思っていま
す。
それから20数年を経て、クロもシロももうこの世にはいません。
しかし私の心の中に ハチと共にクロもシロも生きています。
- 2015年11月15日
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2015年 11月 15日です。 ワンちゃん物語のパート2の話です。
今から20数年前の話です。
当時、30代の私は公私ともに煮詰まっていました。
そんな私を支えてくれたのが 親友の森永さんでした。1991年 6月3日 に 長崎県の
普賢岳が爆発し何人もの犠牲者が出ました。その時、そこに取り残された
ワンちゃんたちがいました。森永さんはその不遇にあった犬を引取りに行って飼う事
にしました。 このワンちゃん物語⒈の井上君と同じケースですね。
大きい黒い犬をクロ、小さな白い犬をシロと名付けて家で飼っていました。
クロは雑種の大きな犬でしたが、庭でも家の中でも飼っていました。
お風呂も一緒に入っていたそうです。
森永さんの家に泊まりに行った時の事です。
寒い冬の日の事でした。敷布団に横になり、掛布団を開けるやいなや、クロが
その布団に飛び込んできました。森永さんが笑いながら言いました。
我が家では犬と一緒に寝てるんだよ、、と。
犬好きな私でも一緒に寝た事はありません。
でも、とても楽しそうなので一緒に寝る事にしました。
とてもクロは温たたくて、湯たんぽの様でした。動物なので毛がたくさん自分に
付きましたが、気にはなりませんでした。
むしろ、荒れていた自分の心がクロのおかげで癒されていくのを感じていました。
「 暖かい季節になったら、クロやシロと一緒にキャンプに行こう」と、
森永さんが誘ってくれました。
翌年の春、森永さんとクロ、シロと共に行ったキャンプでの体験が私を幸運に
導いてくれるのです。
その体験は明日書きますね。
- 2015年11月14日
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2015年 11月14日です。 ワンちゃん物語その6です。
このシリーズを掲載しながらハチの写真を探していましたら、学生時代に学生証
に挟んでいたハチの写真が出て参りました。当時から少しピントが合っていない
白黒写真ですが載せてみます。
。
昨年、父の妹、つまり叔母が病に伏しました。そしてその荷物の整理を従姉妹が
したところ、その叔母の母、私にとって祖母であり、ヨシダの2代目の妻である
熊千代祖母の遺品が数多く運ばれて参りました。
その整理をしていますと中から祖母が大学ノートに書いた 「 折にふれて」と題され
た日記が出て参りました。
それをパラパラとめくっていましたら、何と綺麗に切り抜かれた文章が出てまいり
ました。それが大学サークルの機関紙 「 みちしるべ」に掲載された私の文章、
つまり「 愛犬の死」の 投稿文でした。
祖母の感想として
「 何と この孫は優しい感性を持っているのだろうか、祖母として嬉しい 」と
記されていました。
まさか、当時80歳を過ぎていた祖母が当時ハタチそこそこの私の文章をこの様に大切
に切り取って日記に貼っているとは夢にも思わなかった私は胸が詰まりました。
そして、読み進んでいくうちに娘である父の妹に対する心温まる思いやりの
文章も綴られておりました。
早速、読みやすくタイプに打って従姉妹に送りました。
従姉妹は死期が近づいてきた89歳になる母親の病床で聞かせたそうです。
叔母は病床でうなづきながら聞いていたそうです。
その叔母はそれから3ヶ月後、亡くなりました。しかし、母親の愛情あふれる日記に
ふれて幸せだったのではないかと思います。
私も孫の私に対する45年もの前の祖母の日記にふれて幸せでした。病弱で入退院を
繰り返していた祖母でしたが、ハチが迷い込んできた小学校1年生の夏に
初めて和歌と俳句を教えてくれたのが祖母でした。
今回の井上君が連れて来たワンという犬はハチに似ていました。
そして思い出した様にハチの事を綴って参りましたが、このブログを書きながら
何かハチが何十年もの間、吉田家の忠犬として色んな事を思い出させてくれたような
気がします。
ワンちゃん物語は一旦終えますが、明日からは私に勇気を与えて運まではこんで
くれた別のワンちゃん物語を書いてみます。
- 2015年11月13日
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2015年 11月13日です。 このワンちゃん物語1の井上君から電話がありました。
楽しく今回のブログ記事を読んでると共に まだヤメは出産していないとの事でした。
高校1年のときにハチの死があって1年後、私の祖父、ヨシダの2代目が78歳で他界
しました。初めての近親者の死は私にとって衝撃でしたが、その死を受け入れられた
のは前年にハチとの別れがあったからかもしれません。
最近読んだある本に
「 もし、男の子がいたら犬を飼ってあげたら良い。最高の友人になるだろうし、
犬の寿命は大体15年だから最も多感な時期に死ぬ場合が多いから命の大切さを
子供に教えてくれるだろう」
と、書かれてありましたが、本当にそうかも知れません。
大学生になった私は博多での下宿生活を堪能していました。
学生証にはハチの写真を入れていつも持ち歩いていました。
大学のサークルはユースホステル同好会でしたが、このサークルは年に一度、
当時としては立派な機関紙を発行していました。
私はこの編集に携わっていました。
一年生の時にこの機関紙に原稿を掲載する事になり、私は 「 愛犬の死 」と題して
ハチの物語を今回の様に書きました。
結びは
「 あの日、父が言った言葉は本当は暖かい思いやりだったのかも知れない。
いつの日か僕が父親になった時出来ることならば子供に犬を飼わせてやりたいと
思う。そしてその犬の死に際した時に僕は父と同じ言葉をはき、子は僕と同じ事を
いうであろう。その時の僕の態度は・・・・と思いながらふと手にしたハチの首輪
から あの懐かしいハチのにおいと僕の少年時代のにおいがした。」
とのラストの言葉でした。
私にとってこの機関紙にハチの死を投稿した頃から何となくハチは遠い思い出の
中に封印されて忘れかけていました。
そして45年近く過ぎ去った昨年、私はこの大学時代の 「 愛犬の死 」の文章に再び
接する事になるのですが、それは機関紙ではなくて何と、思いもよらない意外な
ところだったのです。それはまた明日書きますね。