めがね、時計、ジュエリー宝石リフォーム、補聴器のことなら安心と信頼の福岡県北九州市門司のヨシダ

ワンちゃん物語 4


2015年 11月12日です。 店の外装工事も2/3すみました。

 

こうした大きな店の改装は今回は17年ぶりですが、50年前も大きな改装を

した時期があります。それは私が高校時代の頃です。店の裏庭まで店を拡張する

事になりました。それは愛犬ハチの居場所が少なくなる事でもありました。

店の工事中、ハチは床下に潜って仲々出て来ませんでした。半年後出来上がった

店の裏には庭が無くなり小さな通路があるだけでしたが、そこがハチの居場所でした

。そして老衰のために脚が弱ってきたハチは玄関横の下駄箱の下にうづくまって、

動けなくなってきました。

獣医に診てもらいました。フィラニアという病気でした。父が

「 このままここで静かに死なせてあげよう」と 言いました。

然し、幼かった私は泣いてすがって動物病院への入院を懇願しました。

小学校の時に入院して元気になったハチの姿が忘れられなかったのです。

父は 「 お前がそこまで言うなら、、」と 入院手続きをとってくれました。

動物病院に入院させて帰るとき、ハチは檻の中から、悲しそうな目でクーンと言って

私を見ました。

翌日、学校にいても気が気ではありません。

授業が終えるや否や 動物病院に直行しました。

 

そこにはハチが入っている檻があるはずでした。然しその檻は空でした。

獣医の先生が一言

「 一時、元気になったのですが、、」と、つぶやき、ハチの匂いが染み付いた

首輪を差し出しました。

「 ああ、何て寂しかったろう、  そばに付いてやれば良かった、

父が言うように家で死なせてあげれば良かった」という後悔で胸が張り裂けそうに

なって 泣きながら首輪を持ちながら帰った秋の日を思い出します。

そしてこの愛犬の死が50年も経った昨年、新たに思わぬ出来事として

自分の前に現れるとは知る由もありませんでした。

それは、また明日書きますね。

ワンちゃん物語 3


2015年 11月11日です。 ワンちゃん物語の続きです。

中学生になった私は高校受験勉強を夜していました。

深夜になって眠気覚ましによく散歩に出かけました。

その時に愛犬ハチを伴って出かけたのです。深夜ですから、鎖なしでも

目立ちません。ほとんど人はいないのですから。

そうしてハチとの深夜散歩のある日のこと、門司駅の前に当時は屋台のラーメン屋

さんが3件も営業していました。ラーメンを食べたくなった私はその夜はハチを

連れずに一人で出かけたのです。散歩して、ラーメンを食べて家に戻ると

煌々と明かりが点いています。

家の前には両親が怒った顔で待っていました。

何事かと思っていましたら、散歩に連れていかなかったのでハチがワンワンと

吠え続けて止まず、何と一時間近く吠え続けていたそうです。

その声で一家みんなが起こされたという事でした。

 

門司駅前の屋台のラーメン屋さんは無くなりましたが、今でも戸の上通りに同じ

味の屋台のラーメン屋さんが在ります。聞けば当時の二代目の方だそうです。

時折、そこでラーメンを食べるたびにこの事を思い出してしまいます。

 

そんなエピソードもありましたが私が高校生になる頃にはハチも歳をとり、

死期が近づいてきていたのですが、、、その死にあたり、私には辛い思い出が

あるのです。それはまた、明日書きますね。

 

ワンちゃん物語 2


2015年 11月8日です。昨日に続いてワンちゃん物語です。

小学校1年生の時に、店に迷い犬が来て飼う事になりました。

雑種犬のその子犬は忠犬ハチ公にちなんで ハチと名付けられ、私の友となりました。

image

店の裏庭で飼われていたハチでしたが、ある日、近所の子供を噛んでしまいました。

祖母が買って来たばかりにのスイカを持って謝りにいきました。

私が食べ損なって残念な思いをしましたが、昭和30年ごろの

当時は 犬が噛んでもスイカ一つで済んだ訳ですから大らかなものですね。

今なら新聞記事ですよね。

何時も一緒だった私とハチでしたが、小学校4年生の時に店先で車にはねられて

ビッコを引く様になりました。犬猫病院に入院して手術をすれば治るという事で

入院して手術となりました。病院まで買ったばかりの車で父が運転して、私が横に

ついていきました。ハチは捨てられるかと思ったのでしょうか、目から涙が出て

悲しそうな表情でした。

「 あ、犬でも泣くんだ、涙をながすんだ」と、びっくりした事を今でも覚えています

 

見舞いに行くとクーン、クーンと泣いて、私たちが病院を出るといつまでも

ワンワンと吠えていました。

2週間ほどして帰って来ました。無事に脚は治って走れる様になりましたが、

車を恐れて店先には出なくなりました。

小学校6年生の時に何時も一人では( 一匹では) 寂しかろうと、同じ犬を飼っていた

友人とお見合いをさせました。その友人宅に行く途中に別の犬と仲良くなって

妊娠しました。ハチはメスだったのですね。

ちょうどお産の頃、ヨシダの社員旅行と重なって2日ほど留守にしました。

帰宅したところ、大きかったハチのお腹は小さくなっていました。

家族もみんな留守の間に流産でもしたのでしょうか、今となっては分かりませんが。

この頃は本当に大らかな時代で 学校の宿題も友人と歩いて20分ほどの 滝の観音と

言われる地元のお寺で宿題のプリントをしていました。

ハチはほとんどついて来ていました。車には敏感でしたが、私が行く時には

ついて来ていました。 今と違って鎖も紐も無くて、そのまま嬉しそうに

付いて来ていました。そんな光景が普通の事だったのです。

そして私は中学生になります。この頃になりますと、鎖付き、紐付きが義務化されて

くるのですが、そこで私は一計を案じます。

その続きは明日、書きますね。

ワンちゃん物語 1


2015年11月8日です。 良いお天気ですね。

今日は門司にて世良公則さんの ペット殺処分反対のトークショーが開かれるそうです

が、同じ殺処分に関して一昨日、ある素敵なエピソードに接する事が有りました。

幼稚園時代からの友人、井上君が訪ねて来ました。お父様の代から鉄工所を経営され

ており、今回、ヨシダのストックケースの事で相談したら、早速駆けつけてくれたの

です。見送りに駐車場に行ったら何と 車の中にワンちゃんがいるではないですか!

image

image

しかも、2匹もいるのです。井上君とワンちゃん二匹と共に門司港店まで参りました。

本当におとなしいワンちゃんですが、小さいほうのワンちゃんは身ごもっていて、

あと10日足らずで出産だそうです。

image

井上君が目を輝かせて話し始めました。

夏の終わりにふとした事で、八女市にてこの犬の殺処分を知ったそうです。

可哀想に思って遠賀郡の自宅から八女市まで、殺処分予定のこの犬に会いに行って

自分で飼う事にしたそうです。

八女市から来たので 名前も ヤメ にしたそうです。

3年前に迷い込んで飼っていた ワン と名付けた犬と共に飼っていたら、犬同士が

夫婦になった様です。

「 すごいと思わないかい、命が亡くなる予定だったヤメが 新しい命を授かったん

だよ。命の継承だよ。」

と、井上君は言葉を続けました。

門司港店でも ヤメ も ワン も 大人気です。

image

そういえば、、と、私は昔、自分が飼っていた犬を思い出していました。

単なるペットの思い出話ではなく、少し長い話になりますので、明日から何回かに

分けて書いてみます。

接客物語 14


2015年 11月7日です。

昨日も嬉しい接客をさせて頂きました。

9月に井筒屋パステルホールにて開催された北九州市初の 「 終活フェア 」に

ヨシダも出店したのですが、その時に知ったといわれて わざわざ八幡から

上品な年配のお客様が お見えになられました。S様といわれる新規の女性の方です。

地金買取の話になり、かなりたくさんの宝石と貴金属を買取らせて頂いたのですが、

その中に、金の懐中時計も有りました。

image

金の鎖も22金でしたので、買取金額もかなり高額になったのですが、その奥様は

今ひとつ、うかぬ顔です。

「 実は主人の形見なので懐中時計についている一分銀の硬貨に思い入れが

あるのです。」 との事でした。

「 ならば、その一分銀のところだけを外してペンダントにしましょうか。」

と、ご提案したところ、

「 そうして頂ければ本当に嬉しいわ」と、いう事で、一分銀を外して

金の懐中時計と、金の鎖も買取らせて頂きました。

「 奥様、金の鎖は業者に売却しますが、この懐中時計は私が保存して、

ヨシダコレクションの中に入れようと思っています。」

と、言いますと

「 それは嬉しいです。いつそのコレクションは公開なさるのですか?」

「 毎年、6月10日の時の記念日に合わせてたくさんの珍しい時計を公開するの

ですが、その中の一つにと考えています。

「 そうして頂けると本当に嬉しいです。私、毎年見に来ます。

この懐中時計に会いに来ます」

と、本当に嬉しそうに仰られてお帰りになられました。

 

そういえば私が所属しております門司港レトロ倶楽部でも、こんな体験が

有りました。 毎年、レトロひな祭りが2月ごろ、開催されますが、このひな人形は

市民の方々の寄贈がほとんどです。3年前、そのお手伝いをさせて頂いていた時の

事です。

「 アッ、今年は有った!」 という驚きの声に振り返ってみましたら、

中年とご高齢の見るからに親子様だと推察されるお二人が 嬉しそうに飾られた

雛人形をご覧になられていました。

お伺いすると、家が引越して狭くなり、雛人形を飾れなくなり数年前に寄贈なされた

という事でした。毎年、雛祭りの時期に門司港に来られてその雛人形を探して歩き、

何年かに一度、出逢う事が楽しみだと話されてその飾られた雛人形の前で 記念写真

を撮られていました。( 私がシャッターを押させて頂きましたが、、)

 

人には思い出の品が有り、その品が自分の手を離れたとしても、飾られたりすると

訪ねて会いにいくほどの思い出があるのですね。

今回、S様から買取らせて頂いたこの懐中時計もヨシダコレクションの一つとして

大切に保存、そして毎年6月には展示して参りたいと思います。

S様にはその後、めがねまでお買上げ頂いて感謝です。