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ワンちゃん物語 6


2015年 11月14日です。 ワンちゃん物語その6です。

このシリーズを掲載しながらハチの写真を探していましたら、学生時代に学生証

に挟んでいたハチの写真が出て参りました。当時から少しピントが合っていない

白黒写真ですが載せてみます。

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昨年、父の妹、つまり叔母が病に伏しました。そしてその荷物の整理を従姉妹が

したところ、その叔母の母、私にとって祖母であり、ヨシダの2代目の妻である

熊千代祖母の遺品が数多く運ばれて参りました。

その整理をしていますと中から祖母が大学ノートに書いた 「 折にふれて」と題され

た日記が出て参りました。

それをパラパラとめくっていましたら、何と綺麗に切り抜かれた文章が出てまいり

ました。それが大学サークルの機関紙 「 みちしるべ」に掲載された私の文章、

つまり「 愛犬の死」の 投稿文でした。

祖母の感想として

「 何と この孫は優しい感性を持っているのだろうか、祖母として嬉しい 」と

記されていました。

まさか、当時80歳を過ぎていた祖母が当時ハタチそこそこの私の文章をこの様に大切

に切り取って日記に貼っているとは夢にも思わなかった私は胸が詰まりました。

 

そして、読み進んでいくうちに娘である父の妹に対する心温まる思いやりの

文章も綴られておりました。

早速、読みやすくタイプに打って従姉妹に送りました。

従姉妹は死期が近づいてきた89歳になる母親の病床で聞かせたそうです。

叔母は病床でうなづきながら聞いていたそうです。

その叔母はそれから3ヶ月後、亡くなりました。しかし、母親の愛情あふれる日記に

ふれて幸せだったのではないかと思います。

 

私も孫の私に対する45年もの前の祖母の日記にふれて幸せでした。病弱で入退院を

繰り返していた祖母でしたが、ハチが迷い込んできた小学校1年生の夏に

初めて和歌と俳句を教えてくれたのが祖母でした。

 

今回の井上君が連れて来たワンという犬はハチに似ていました。

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そして思い出した様にハチの事を綴って参りましたが、このブログを書きながら

何かハチが何十年もの間、吉田家の忠犬として色んな事を思い出させてくれたような

気がします。

ワンちゃん物語は一旦終えますが、明日からは私に勇気を与えて運まではこんで

くれた別のワンちゃん物語を書いてみます。

ワンちゃん物語 5


2015年 11月13日です。 このワンちゃん物語1の井上君から電話がありました。

楽しく今回のブログ記事を読んでると共に まだヤメは出産していないとの事でした。

 

高校1年のときにハチの死があって1年後、私の祖父、ヨシダの2代目が78歳で他界

しました。初めての近親者の死は私にとって衝撃でしたが、その死を受け入れられた

のは前年にハチとの別れがあったからかもしれません。

最近読んだある本に

「 もし、男の子がいたら犬を飼ってあげたら良い。最高の友人になるだろうし、

犬の寿命は大体15年だから最も多感な時期に死ぬ場合が多いから命の大切さを

子供に教えてくれるだろう」

と、書かれてありましたが、本当にそうかも知れません。

 

大学生になった私は博多での下宿生活を堪能していました。

学生証にはハチの写真を入れていつも持ち歩いていました。

大学のサークルはユースホステル同好会でしたが、このサークルは年に一度、

当時としては立派な機関紙を発行していました。

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私はこの編集に携わっていました。

一年生の時にこの機関紙に原稿を掲載する事になり、私は 「 愛犬の死 」と題して

ハチの物語を今回の様に書きました。

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結びは

「 あの日、父が言った言葉は本当は暖かい思いやりだったのかも知れない。

いつの日か僕が父親になった時出来ることならば子供に犬を飼わせてやりたいと

思う。そしてその犬の死に際した時に僕は父と同じ言葉をはき、子は僕と同じ事を

いうであろう。その時の僕の態度は・・・・と思いながらふと手にしたハチの首輪

から あの懐かしいハチのにおいと僕の少年時代のにおいがした。」

とのラストの言葉でした。

 

私にとってこの機関紙にハチの死を投稿した頃から何となくハチは遠い思い出の

中に封印されて忘れかけていました。

 

そして45年近く過ぎ去った昨年、私はこの大学時代の 「 愛犬の死 」の文章に再び

接する事になるのですが、それは機関紙ではなくて何と、思いもよらない意外な

ところだったのです。それはまた明日書きますね。

ワンちゃん物語 4


2015年 11月12日です。 店の外装工事も2/3すみました。

 

こうした大きな店の改装は今回は17年ぶりですが、50年前も大きな改装を

した時期があります。それは私が高校時代の頃です。店の裏庭まで店を拡張する

事になりました。それは愛犬ハチの居場所が少なくなる事でもありました。

店の工事中、ハチは床下に潜って仲々出て来ませんでした。半年後出来上がった

店の裏には庭が無くなり小さな通路があるだけでしたが、そこがハチの居場所でした

。そして老衰のために脚が弱ってきたハチは玄関横の下駄箱の下にうづくまって、

動けなくなってきました。

獣医に診てもらいました。フィラニアという病気でした。父が

「 このままここで静かに死なせてあげよう」と 言いました。

然し、幼かった私は泣いてすがって動物病院への入院を懇願しました。

小学校の時に入院して元気になったハチの姿が忘れられなかったのです。

父は 「 お前がそこまで言うなら、、」と 入院手続きをとってくれました。

動物病院に入院させて帰るとき、ハチは檻の中から、悲しそうな目でクーンと言って

私を見ました。

翌日、学校にいても気が気ではありません。

授業が終えるや否や 動物病院に直行しました。

 

そこにはハチが入っている檻があるはずでした。然しその檻は空でした。

獣医の先生が一言

「 一時、元気になったのですが、、」と、つぶやき、ハチの匂いが染み付いた

首輪を差し出しました。

「 ああ、何て寂しかったろう、  そばに付いてやれば良かった、

父が言うように家で死なせてあげれば良かった」という後悔で胸が張り裂けそうに

なって 泣きながら首輪を持ちながら帰った秋の日を思い出します。

そしてこの愛犬の死が50年も経った昨年、新たに思わぬ出来事として

自分の前に現れるとは知る由もありませんでした。

それは、また明日書きますね。

ワンちゃん物語 2


2015年 11月8日です。昨日に続いてワンちゃん物語です。

小学校1年生の時に、店に迷い犬が来て飼う事になりました。

雑種犬のその子犬は忠犬ハチ公にちなんで ハチと名付けられ、私の友となりました。

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店の裏庭で飼われていたハチでしたが、ある日、近所の子供を噛んでしまいました。

祖母が買って来たばかりにのスイカを持って謝りにいきました。

私が食べ損なって残念な思いをしましたが、昭和30年ごろの

当時は 犬が噛んでもスイカ一つで済んだ訳ですから大らかなものですね。

今なら新聞記事ですよね。

何時も一緒だった私とハチでしたが、小学校4年生の時に店先で車にはねられて

ビッコを引く様になりました。犬猫病院に入院して手術をすれば治るという事で

入院して手術となりました。病院まで買ったばかりの車で父が運転して、私が横に

ついていきました。ハチは捨てられるかと思ったのでしょうか、目から涙が出て

悲しそうな表情でした。

「 あ、犬でも泣くんだ、涙をながすんだ」と、びっくりした事を今でも覚えています

 

見舞いに行くとクーン、クーンと泣いて、私たちが病院を出るといつまでも

ワンワンと吠えていました。

2週間ほどして帰って来ました。無事に脚は治って走れる様になりましたが、

車を恐れて店先には出なくなりました。

小学校6年生の時に何時も一人では( 一匹では) 寂しかろうと、同じ犬を飼っていた

友人とお見合いをさせました。その友人宅に行く途中に別の犬と仲良くなって

妊娠しました。ハチはメスだったのですね。

ちょうどお産の頃、ヨシダの社員旅行と重なって2日ほど留守にしました。

帰宅したところ、大きかったハチのお腹は小さくなっていました。

家族もみんな留守の間に流産でもしたのでしょうか、今となっては分かりませんが。

この頃は本当に大らかな時代で 学校の宿題も友人と歩いて20分ほどの 滝の観音と

言われる地元のお寺で宿題のプリントをしていました。

ハチはほとんどついて来ていました。車には敏感でしたが、私が行く時には

ついて来ていました。 今と違って鎖も紐も無くて、そのまま嬉しそうに

付いて来ていました。そんな光景が普通の事だったのです。

そして私は中学生になります。この頃になりますと、鎖付き、紐付きが義務化されて

くるのですが、そこで私は一計を案じます。

その続きは明日、書きますね。

ワンちゃん物語 1


2015年11月8日です。 良いお天気ですね。

今日は門司にて世良公則さんの ペット殺処分反対のトークショーが開かれるそうです

が、同じ殺処分に関して一昨日、ある素敵なエピソードに接する事が有りました。

幼稚園時代からの友人、井上君が訪ねて来ました。お父様の代から鉄工所を経営され

ており、今回、ヨシダのストックケースの事で相談したら、早速駆けつけてくれたの

です。見送りに駐車場に行ったら何と 車の中にワンちゃんがいるではないですか!

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しかも、2匹もいるのです。井上君とワンちゃん二匹と共に門司港店まで参りました。

本当におとなしいワンちゃんですが、小さいほうのワンちゃんは身ごもっていて、

あと10日足らずで出産だそうです。

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井上君が目を輝かせて話し始めました。

夏の終わりにふとした事で、八女市にてこの犬の殺処分を知ったそうです。

可哀想に思って遠賀郡の自宅から八女市まで、殺処分予定のこの犬に会いに行って

自分で飼う事にしたそうです。

八女市から来たので 名前も ヤメ にしたそうです。

3年前に迷い込んで飼っていた ワン と名付けた犬と共に飼っていたら、犬同士が

夫婦になった様です。

「 すごいと思わないかい、命が亡くなる予定だったヤメが 新しい命を授かったん

だよ。命の継承だよ。」

と、井上君は言葉を続けました。

門司港店でも ヤメ も ワン も 大人気です。

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そういえば、、と、私は昔、自分が飼っていた犬を思い出していました。

単なるペットの思い出話ではなく、少し長い話になりますので、明日から何回かに

分けて書いてみます。