2024年 7月2日です。先日の日曜日、林芙美子忌の会が
小森江西文化センターで開催されました。

私が会長を務める林芙美子資料保存会も30年前から協力させて
頂いております。主に企画部門ですが、今年はシンガーソングライターの
ちひろさんに数曲、満席の会場で歌って頂きました。

中でも林芙美子さんの有名な詩、
「花の命は短くて」をちひろさんが作曲して歌って下さったのは
嬉しく、また好評でした。

北九州市の市民憲章の最後は
「文化のかおるまちにします」と、結ばれておりますが、その市民憲章が
制定された1981年の3年も前からこの小森江地区の住民により
林芙美子忌の会は毎年、開催されています。
正に市民憲章のお手本となる活動ですね。
林芙美子資料保存会としても出来得る限りこれからも協力していこうと
考えています。
本当に「文化のかおるまち」の一助を担える事に感謝です。
小森江地区の住民の皆さま、ありがとうございます。
- 2024年6月29日
- テーマ: 今日のブログ, 地域活動, 門司探索
2024年 6月28日です。昨夜は仕事を早めに切り上げて
門司の生涯学習センターに参りました。
門司港まちなみづくり協議会の総会と門司港複合公共施設整備事業の
今後の進め方についての説明会を聞くためです。

どんな施設が建つにせよ、それは市債であり、言うなれば借金です。
その借金を払っていくのは私たち世代だけでなく、次世代の人たちです。
私を例えると私の子供たちとなります。
だから「どうせ行政が建てるのだから、、」と見過ごす訳には参りません。
無意味に豪華である必要もありません。
人口に似合ったコンパクトで便利なモノで良いと思います。
専門家が認めている門司駅遺構を壊してまで建てなくても良いと
思います。
2時間に渡り20:00まで続いた質疑応答は圧倒的に見直し論に終始
しました。計画通りに進めようという意見は一つもありませんでした。
全てが一旦立ち止まって考え直そうという意見でした。
「賛否両論」という言葉は皆無の会でした。
この門司港を愛する地域住民の声が市の幹部や市議会に届くことを
祈ります。
嬉しかったのは 「ただ単に反対」ではなく
ほとんどの方が「代案」を持たれて話されたことです。
それの代案を「聴く耳」を市の幹部や、市議会は持って欲しいと
思います。そうでなければ担当なさって説明される市の職員さんが
かわいそうにも思えます。
私の思いは間違っているでしょうか?
- 2024年6月23日
- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 地域活動, 門司探索
2024年 6月22日です。夕刻から門司港に参りました。
旧門司駅の遺構見学会が開催されたからです。

市民参加の見学会が初めてというのにも驚きましたが、たくさんの
方々が集まっておられました。
朝の豪雨が止んで天も味方しているのかなあ、、と感じた
見学会でした。
明治時代の門司駅遺構跡の石垣に触れると、明治18年に創業した
ヨシダが門司に移転した折に、創業者の曽祖父はきっとこの駅に
降り立ったんだろうと感慨深いものがあります。

そして、なぜ市はこの文化的遺構を早急に取り壊そうと急ぐのか、
大いに疑問だらけです。

歴史を紐解けば「文明(開発)」を優先し「文化(歴史)」を蔑ろにした国は
ほぼ100%近く滅ぶようです。
門司が、北九州市がそうならない様に祈るばかりです。
- 2024年6月6日
- テーマ: 今日のブログ, 門司探索
2024年 6月5日です。昨日の定休日、福岡の九州大学大橋キャンパス
に参りました。九大の芸術工学部の学生さん達が、旧門司駅遺構の
複合施設と遺構保存の共立案を2案、発表なさると聞いて興味が
湧いたからです。

大学からの強制授業ではなく自主的な発表会というのも興味を
そそられました。
一案は遺構の公園化案であり、もう一案は濃縮都市案でした。

どちらも若い方ならではの柔軟な発想で、聴いている私も感心致しました。

中でも2案共に、人口減少を見据えて、大きな複合施設は考え直すべき
との意見には大変共感致しました。
この様な若者達が次世代を担っていくのだろうなあ、、と嬉しく
感じました。
複合施設を早く望んでおられる方、遺構を全面保存の意見の方、
共立案の方と様々な意見の方々がおられるでしょうが、若い人の
柔らかい発想はどの意見の方々も一度聞いてみる価値がある様に
思いました。
若い人の考え方にふれて嬉しい休日となりました。
2024年 5月25日です。仕事後、門司港まつりに
出かけました。社員の鮎川さん、岡部さんと一緒です。
栄町商店街で開催の総踊りに出るためです。
私が作詞させて頂いた「門司港レトロ音頭」と「芙美子サンバ」
を500人近い方々が毎年踊って下さいます。

曲の合間に司会者から紹介されてご挨拶もさせて頂きました。

27、8年前でしょうか、踊りの振付をなされておられた米澤英子先生に
頼まれて、作詞:吉田清春、作曲:吉田和則のコンビでこの2曲を
作らせて頂き、港祭りの総踊りの曲として永年、踊り続けて頂いて
おります。私としては感慨深いものがあります。

この門司港祭りは70年も前に出光佐三翁が門司商工会議所の方々と
共に始めたお祭りです。私の祖父にあたるヨシダ二代目の吉田藤吉も
同じ門司商工会議所の一員でしたので、当然この港祭りの立ち上げに
携わったはずです。そのお祭りの総踊り3曲のうち2曲を数十年の
歳月を経て4代目の私が作詞させて頂き、かつ踊って頂けるなんて
本当に嬉しいですね。きっと祖父も天国から喜んでくれていると
思います。
私も踊りの輪に入り踊らせて頂きました。


そして、懐かしい方々にもたくさんお会いできました。

門司港駅長様

野口整形外科の野口先生

レトロの仲間たち

総踊りの事務局長、野畑様、

ツーショット写真を撮り損ねた四季のグループの皆様、
本当にありがとうございます。
来年もぜひこの総踊りでお会いしたいです。