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永六輔さんとの思い出 その4


2016年 7月15日です。 永六輔さんとの思い出話しの最終回です。

永六輔さんの講演会から11年後、ヨシダに ラッキー池田さんが訪ねて来られました。

 

ラッキー池田画像2

お聞きしますと、永六輔さんのラジオ番組に携わっておられるとかで、

その当時、門司港レトロの盛り上がりのために 私が作詞をして

果物屋の山形さんが作曲された 「 焼きカレーの歌 」の ラジオ出演のオファー

でした。

ラジオはテレビと違って映像がないので 電話でつないで生放送する事が出来ます。

スタジオの永六輔さん、門司のヨシダの店から ラッキー池田さん、山形さん、

そして私と 電話で対談を致しました。

ラッキー池田さんも永六輔さんを称えられて、とても謙虚な方でした。

ラジオ対談の折に、ここ数日書いているエピソードなども

話させていただきました。

 

永さんとのエピソードの中で一番感じたことは、やはり一流の方は気配りが

凄いという事でした。

これは やがて親交を得た池内淳子さんや、加山雄三さん、八代亜紀さんにも

感じた事でした。この方たちの凄さは 単に一般のファンだけでなく、

スタッフの方々や下支えをなさっておられる方々にも その気配りがあられると

いうことです。

永六輔さんが お亡くなりになられた今、懐かしく思い出と共に

ご冥福をお祈りしながらペンを置きます。( キーボードを閉じます)

見て頂いて有難うございます。

永六輔さんとの思い出 その3


2016年 7月14日です。 永六輔さんとの思い出話の続きです。

昨日、書きました平成12年の講演会の終わり頃の話です。

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講演会が終えて、主催者の林芙美子資料保存会から花束をプレゼントしました。

永六輔さんは 笑ってそれを受け取られた後で、

「 ウワア、とても綺麗なお花ですね。喜んで頂きます。」と、受け取られた後で

こう続けられました。

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「 このお花、受け取ったからもう自分のものですよね」

司会者でもあり、主催者の一人でもある私が

「 ええ、そうですよ」と、答えるのを待って、

「では、私から 聴講して下さった皆様にプレゼントです。

この中で最高齢者の方はいらっしゃいますか, 80歳以上の方、手を挙げて

下さい」 と、最高齢者の方を選ばれて、その方に(女性の方でしたが)

受け取られた花束を 手渡しなされたのです。

こうして 文章にすれば何気ない様に感じられるかもしれませんが、その一連の

流れが 永六輔さんならではのとても「間」が取れた 素晴らしい時間と空間で

会場中が 拍手の山でした。

本当に素晴らしい講演会となったのを 今でも思い出します。

永六輔さんとは更に ラジオで対談する機会をそれから10年後にあるのですが

それは 又 明日 書きますね。

 

 

永六輔さんとの思い出 その2


2016年 7月13日です。 昨日に続いて永六輔さんとの思い出の話です。

永六輔さんに再び再会したのは 平成12年の時でした。

私は現在、林芙美子資料保存会の会長をさせて頂いておりますが、当時は

実行委員長でした。 その時に林芙美子資料保存室5周年を記念して

永六輔さんの講演会を企画・実行したのです。

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場所は門司港ホテル、司会は私です。開演1時間前に到着しますと

すでに、永さんは来られているのです。そして私に

「 もう始めて良いですか」と聞いて喋り始めたのです。

楽しいトークの途中に 続々とお客様が見えられます。

「 あっ、もう始まっている 」の声に

「 いいえ、本番は定刻通りに始めます。

こうして講演会をすると必ず前もって来て下さる方がいらっしゃいます。

その方々へのサービスの前座です。」

と、笑わせて素敵なトークを話されました。そして、開演予定時間になった時に、

「 それでは 今日の講演会の司会者を ご紹介します。」と、

司会の私を紹介下さったのです。

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当時、私は 良く司会をさせていただいていましたが、司会者をさらに紹介すると

いうのは初めてで びっくりすると共に永六輔さんのウエットさに感心しましたが、

それは 講演会の後でも永六輔さんならではの気配りが有りました。

それは、また 明日書きますね。

 

永六輔さんとの思い出 その1


2016年 7月12日です。 昨日、永六輔さんの訃報を知りました。

心よりご冥福をお祈り致します。

永六輔さんとは 数々の思い出があります。

最初にお目にかかったのは 16年前の 平成10年のラジオ番組でした。

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永六輔さんが 「 商人 」という本をお書きになられて、九州に来られた時に

「 九州の商人の方とお話したい」という事で、どうゆう訳か、私が選ばれての

ラジオでの対談でした。

福岡のスタジオでの、初対面の印象は 「 とても笑顔が素敵な 大柄な方だなあ 」と

いう印象でした。

「商人」の本の第一頁に

「 店と屏風は広げすぎると倒れる 」と、

書かれてあり、それがヨシダの 2代目、つまり私の祖父の遺訓

「 決して店を大きくするな。大きくすると内部から崩れる」

と 合致して、大いに 対談の話が盛り上がったのを 思い出します。

対談の途中で 私が作詞した 「 恋のはね橋 」の詞に触れられて、

「 あなたが作詞されたのですか? 良い詞ですね」と、褒められて、とても

嬉しかったのを覚えています。

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「 上を向いて歩こう」などの超有名な作詞家の永六輔さんからのお言葉ですから

当然ですよね。

永六輔さんとの再会は、門司港レトロで、そこで私は 余りの永六輔さんの

素晴らしい気配りと人格に唸るのですが、それはまた明日、書きますね。

 

ボイスレコーダーの思い出


2016年 7月3日です。 熱くなってきましたね。

昨日のブログに書いたように 真珠の高額な品をお嬢様方にプレゼントなされた

お客様に ボイスメッセージカードを初めてお付けしたのですが、これにはある

逸話があるのです。

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半月ほど前に 家内が

「メッセージカードにも声が録音出来るのが 出来たんですって!」と、

聞かされたときに 思い出した話が有ります。

もう、10年近く前の事です。ある時計メーカーが声が録音出来る目覚時計を

発売した事が有ります。20秒位、声を録音してその声で目覚めようという商品

でした。

ある時に その修理を依頼されました。

「 この目覚時計には 故人の声が入っているのです。でも壊れてしまって聞こえ

ないのです。どこの時計屋さんに持っていっても 修理は出来ないと、言われて、、

でも、私にとっては大切な主人の声なので、ヨシダさんならどうかしてくれるの

ではないかと 訪ねてきました。」

という お話でした。

確かに古い品で 随分とご使用なされた跡が見受けられました。

普通ならば 多分、修理不能と言われるだろうと予測は出来ましたが、お客様の

お話をお聞きすると どうにかしてあげたいという思いが込み上げました。

一旦、お預かりして、メーカーにお願いしました。

幸いにメーカーの担当者は 私と同じセミナーを受講された方で、積極的に動いて

下さいました。

「 本来なら、お断りする事例ですが なんとかしてみましょう」と、時間は

かかりましたが 何とか復元して頂きました。

その 時計をお渡しした時の お客様の涙を私は忘れる事ができません。

「 ああ、これで亡くなった主人の声を子供達に聞かせる事が出来る」と

涙ぐまれたのです。

ああ、お役に立てて良かった、、と心から思いました。

 

家内から ボイスメッセージカードの話を聞かされた時に この話を思い出し、

「 とりあえず、見本の品を取ってみよう」と、取り寄せた品が

朝礼で社員に見せる前に 昨日お客様用に 使う事が出来ました。

新しく ボイスメッセージカードを取り寄せて 社員にも使途を指示したいと

思っています。