滝の観音の思い出。
2025年 5月15日です。
昨日の滝の観音の思い出話です。
小学生のころ、通っていた柳小学校での話です。
当時はプリントの宿題が良く出ていました。学校が終わって、
友人のK君と二人でそのまま滝の観音の境内に行ってそこで宿題を
済ませてから帰宅したものでした。
当時、私もK君も犬を飼っていて、お互いにその犬を仲良くさせようと
滝の観音でお見合い(?)させたらお互いの犬が吠えあってビックリして
連れて帰った思い出があります。
大学受験に失敗して落ち込んだ時、一人でここに来たら山桜が満開で
その花びらに癒された思い出もあります。
ここからは戸の上山に登ることも出来て、大学卒業後、登ったことも
あります。
それが22歳の時、もう50年以上戸の上山には登っていませんね。
今の自分の脚では(何回も骨折などで痛めているので)無理でしょうか。
そして平成5年の大晦日、一人だった私は急に思い立って、
滝の観音に行きました。当時、除夜の鐘をつかせてくれるとの
ニュースを知ったからです。出かけてみますと凄い人並みでした。
滝の観音から戸の上神社で初詣の人が多かったのですね。
一人で滝の観音から下っていくと人混みの中で知り合いに多く会って
そのほとんどが家族連れで、一人寂しさを噛み締めた大晦日でした。
ところが、それから2年後の大晦日では前年から始まった
門司港カウントダウンの司会の大役が「まちづくり21世紀の会」から
お声がけ頂いて4000名もの大観衆の前でする事になるのですから、
このギャップは大きいですね。
それ以来、大晦日はカウントダウンの司会からタイムキーパーと脚を
骨折入院する2017年まで23年もかかわる事となります。
その門司港カウントダウンも門司港駅前から中央広場へと会場は
変わりましたが、昨年末をもって終了したと聞いています。
そのような思いを思い起こす滝の観音に今の自分の足で長い階段を
登れるか否か少し不安もありましたが、どうにか登れ、それも中学時代の
仲間と行けて本当に嬉しいワタシでした。
ただ心配ごとが一つ出来ました。
今の滝の観音の綺麗さはM君の毎朝のボランティアによって保たれて
いますが、そのM君も今月末で辞められるとのこと。
そうすると後はまた誰もいないのでこの滝の観音は荒れていくのでは
無いかなあという不安も感じた昨日の再訪でした。
長い私の思い出話を読んで下さりありがとうございます。