ネコちゃんめがねフレーム
2023年 9月21日です。今日はネコちゃんのお話です。
国産のめがねメーカーからねこちゃんの耳をモチーフにした
めがねフレームが販売されました。
全部で9種類ですが、昨今のペットブームで人気の予感!
全部揃えてみました。
猫ちゃんのジュエリーも、時計も、お財布も同時に揃えてみました。
宝石部の2階ではなく、一階のめがね部に展示して発売開始です。
ネコちゃんがお好きな方は ぜひ見に来て下さいね。
2023年 9月21日です。今日はネコちゃんのお話です。
国産のめがねメーカーからねこちゃんの耳をモチーフにした
めがねフレームが販売されました。
全部で9種類ですが、昨今のペットブームで人気の予感!
全部揃えてみました。
猫ちゃんのジュエリーも、時計も、お財布も同時に揃えてみました。
宝石部の2階ではなく、一階のめがね部に展示して発売開始です。
ネコちゃんがお好きな方は ぜひ見に来て下さいね。
2023年 9月20日です。門司の躍進を考える会を立ち上げて10年
近く経った頃、門司港が門司港レトロとして再生されました。
ハード面は官庁が行ったのですが、ソフト面は民間と一緒にと
いうことになり、街づくり団体が結集して一つにまとまり、
官庁も縦割り組織を解消して加わり、ここに日本で初めてという
官民一体の 門司港レトロ倶楽部 が誕生したのです。
門司の躍進を考える会も最初から参加して、和則さんも私もその
要職に一旦を担うこととなります。
門司港レトロ倶楽部は現在28年目ですが、
写真は2001年の北九州博覧会の 門司区民の日で
野田はるかさんと一緒に司会をさせて頂いた時の写真です。
この時は参加者のほとんどが、私が作詞、和則さんが作曲した
門司港レトロ音頭を踊って下さり、楽しかったです。
街づくりの歴史を書けば50回位かかりそうなので、今回は一旦
休みますが、要は
こんなに街の人が喜んで下さる、、という事を実体験して、
街の活力がなければ、店も発展しないとつくづくと感じた事です。
それが
「地域の人が喜ぶ事をしよう、
地域の人が店を支えて下さる。」という
私が次世代に残す遺訓となったのです。
私やスタッフが出来る事といえば、街美化活動であったり、イベントの
警備であったり些細な事ですが、元気な限り続けていきたいと願って
います。
明日からはまた、日常ののブログに戻りますが、
「遠方からのお客様」 と
「街づくり活動」 は 続編をまた書いてみたいと思っています。
長文のお付き合い、ありがとうございます。
2023年 9月19日です。街づくり活動の話の続きです。
昭和60年、1985年に結成された 門司の躍進を考える会の
最初の活動は 門司港駅でのコンサートでした。
池田会長は音楽にも造詣が深く、鼓弓のコンサートをきっかけに
クラシックやピアノなどの演奏会も行いました。
私がほとんど司会をさせて頂きました。
「音楽会以外に何か楽しいことで街づくり活動がないかね?」の
池田会長の言葉に、
「百人一首大会はどうでしょう?」と、
百人一首のカルタ会も始めました。
写真はその百人一首の読み手さんと和則さんとの写真です。
そうした街づくり活動をしているうちに、、、
続きは明日書きますね。
2023年 9月18日です。父の遺訓の続きです。
父は
「正しい納税をせよ。納税した分だけ店に力が付く」
との遺訓を残しましたが、
私の遺訓はもうすでに決まっています。
それは
「地域の人に喜ばれる事をしよう、
地域の人が店を支えてくださるから。」 です。
なぜその思いに至ったかを何回かに渡り
書きたいと思います。
昭和60年、つまり1985年、私を育ててくださったと言っても
過言ではない吉田和則さんから提案がありました。
和則さんは同じ吉田姓ですが、姻戚関係は無く、広告代理店の
社長さんでヨシダの広告を取り扱って下さっていました。
「門司の街の凋落が激しいから街づくり団体を立ち上げよう」という
提案でした。そして紹介されたのが、
門司で一番大きな企業の池田興業の池田弘社長でした。
池田社長との初対面は衝撃的でした。
「あなたが吉田君ですか、和則さんから伺っています。
ぜひ、友達になって下さい」と、ニッコリ笑いながら
おっしゃいました。
10歳も年上の、東大卒の、社員数1600名の大社長がですよ。
当時私は34歳になったばかりです。
もう恐縮以外、何もありませんよね。
その時、
「この人のもとでなら、何でもしよう」と決めたのでした。
そして池田会長のもとで
「門司の躍進を考える会」が結成されたのです。
まだ門司港レトロが出来る数年前の話です。
写真は林芙美子記念式典の、池田会長との写真です。(2007年)
続きは明日書きますね。
2023年 9月17日です。アメリカのお客様からのメールに
「地元愛で、素敵な街で、、」の嬉しいお便りを頂きましたが、
ここには父の遺訓が生きています。
3代目の父は戦後、戦災にあって消失した店を復員後、一から
再興したのですが、次の様な遺訓を残しました。
「正しい納税をせよ、納税した分、店に力がつく」
そして、幼い私に
「正しい納税はその地域のインフラや復興に使われるから、、」
と、話してくれました。そして、
「何も別に寄付をするとかではなくても正しい納税をする事が
一番の地域貢献だよ」とも教えてくれました。
今は綺麗になった門司を含む日本の風景ですが、復員まもなく
焦土と化した門司の街を見るにつけ、その想いを強くしたのかも
知れません。
その門司の街の再生に私が関わるとは当時思ってもみませんでしたが、
その話はまた、明日書きますね。