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ワンちゃん物語 2


2015年 11月8日です。昨日に続いてワンちゃん物語です。

小学校1年生の時に、店に迷い犬が来て飼う事になりました。

雑種犬のその子犬は忠犬ハチ公にちなんで ハチと名付けられ、私の友となりました。

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店の裏庭で飼われていたハチでしたが、ある日、近所の子供を噛んでしまいました。

祖母が買って来たばかりにのスイカを持って謝りにいきました。

私が食べ損なって残念な思いをしましたが、昭和30年ごろの

当時は 犬が噛んでもスイカ一つで済んだ訳ですから大らかなものですね。

今なら新聞記事ですよね。

何時も一緒だった私とハチでしたが、小学校4年生の時に店先で車にはねられて

ビッコを引く様になりました。犬猫病院に入院して手術をすれば治るという事で

入院して手術となりました。病院まで買ったばかりの車で父が運転して、私が横に

ついていきました。ハチは捨てられるかと思ったのでしょうか、目から涙が出て

悲しそうな表情でした。

「 あ、犬でも泣くんだ、涙をながすんだ」と、びっくりした事を今でも覚えています

 

見舞いに行くとクーン、クーンと泣いて、私たちが病院を出るといつまでも

ワンワンと吠えていました。

2週間ほどして帰って来ました。無事に脚は治って走れる様になりましたが、

車を恐れて店先には出なくなりました。

小学校6年生の時に何時も一人では( 一匹では) 寂しかろうと、同じ犬を飼っていた

友人とお見合いをさせました。その友人宅に行く途中に別の犬と仲良くなって

妊娠しました。ハチはメスだったのですね。

ちょうどお産の頃、ヨシダの社員旅行と重なって2日ほど留守にしました。

帰宅したところ、大きかったハチのお腹は小さくなっていました。

家族もみんな留守の間に流産でもしたのでしょうか、今となっては分かりませんが。

この頃は本当に大らかな時代で 学校の宿題も友人と歩いて20分ほどの 滝の観音と

言われる地元のお寺で宿題のプリントをしていました。

ハチはほとんどついて来ていました。車には敏感でしたが、私が行く時には

ついて来ていました。 今と違って鎖も紐も無くて、そのまま嬉しそうに

付いて来ていました。そんな光景が普通の事だったのです。

そして私は中学生になります。この頃になりますと、鎖付き、紐付きが義務化されて

くるのですが、そこで私は一計を案じます。

その続きは明日、書きますね。

接客物語 14


2015年 11月7日です。

昨日も嬉しい接客をさせて頂きました。

9月に井筒屋パステルホールにて開催された北九州市初の 「 終活フェア 」に

ヨシダも出店したのですが、その時に知ったといわれて わざわざ八幡から

上品な年配のお客様が お見えになられました。S様といわれる新規の女性の方です。

地金買取の話になり、かなりたくさんの宝石と貴金属を買取らせて頂いたのですが、

その中に、金の懐中時計も有りました。

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金の鎖も22金でしたので、買取金額もかなり高額になったのですが、その奥様は

今ひとつ、うかぬ顔です。

「 実は主人の形見なので懐中時計についている一分銀の硬貨に思い入れが

あるのです。」 との事でした。

「 ならば、その一分銀のところだけを外してペンダントにしましょうか。」

と、ご提案したところ、

「 そうして頂ければ本当に嬉しいわ」と、いう事で、一分銀を外して

金の懐中時計と、金の鎖も買取らせて頂きました。

「 奥様、金の鎖は業者に売却しますが、この懐中時計は私が保存して、

ヨシダコレクションの中に入れようと思っています。」

と、言いますと

「 それは嬉しいです。いつそのコレクションは公開なさるのですか?」

「 毎年、6月10日の時の記念日に合わせてたくさんの珍しい時計を公開するの

ですが、その中の一つにと考えています。

「 そうして頂けると本当に嬉しいです。私、毎年見に来ます。

この懐中時計に会いに来ます」

と、本当に嬉しそうに仰られてお帰りになられました。

 

そういえば私が所属しております門司港レトロ倶楽部でも、こんな体験が

有りました。 毎年、レトロひな祭りが2月ごろ、開催されますが、このひな人形は

市民の方々の寄贈がほとんどです。3年前、そのお手伝いをさせて頂いていた時の

事です。

「 アッ、今年は有った!」 という驚きの声に振り返ってみましたら、

中年とご高齢の見るからに親子様だと推察されるお二人が 嬉しそうに飾られた

雛人形をご覧になられていました。

お伺いすると、家が引越して狭くなり、雛人形を飾れなくなり数年前に寄贈なされた

という事でした。毎年、雛祭りの時期に門司港に来られてその雛人形を探して歩き、

何年かに一度、出逢う事が楽しみだと話されてその飾られた雛人形の前で 記念写真

を撮られていました。( 私がシャッターを押させて頂きましたが、、)

 

人には思い出の品が有り、その品が自分の手を離れたとしても、飾られたりすると

訪ねて会いにいくほどの思い出があるのですね。

今回、S様から買取らせて頂いたこの懐中時計もヨシダコレクションの一つとして

大切に保存、そして毎年6月には展示して参りたいと思います。

S様にはその後、めがねまでお買上げ頂いて感謝です。

補聴器コンサート


2015年 11月5日です。

昨日は 第7回目の補聴器コンサートを行いました。

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場所は 旧門司三井倶楽部です。補聴器をかけているとイマイチ音が良く聴こえない、

ハウリングがあれば周りの人に迷惑をかけるかも知れない、、などの理由で

「 音楽は好きだけど、コンサートには行きづらい 」などのお客様からのお声を

お伺いして、「 ならば、補聴器の方だけのコンサートを開催したらどうだろう」と、

始めたのが もう5年も前の話です。

最初は一年に一回の開催でしたが、好評なので最近は年に2回の開催となりました。

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早く来られたお客様とは今年、リニュアルされた林芙美子資料館もご案内

させて頂きました。

そしていよいよ始まりです。

はじめに映像で補聴器の具合をチェックして、聴こえづらい方には調整を

行います。そして、いよいよ本番のピアノコンサートです。

前回はクラシックでしたが、今回は 映画音楽と叙情歌の音楽です。

叙情歌の時には3曲も ピアノに合わせてお客様も合唱です。

「 青い山脈 」 や 「 ふるさと 」は やはり盛り上がりますね。

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その後、ランチタイムを経て解散となりますが、たくさんのお客様の笑顔に

触れて 開催している私も社員も幸せな気持になれます。

お客様と共有出来る素敵な時間に 感謝です。

外装工事 3


2015年 11月3日です。 もう今年もあと2ヶ月なんて信じられませんね。

9月上旬からの店の外装工事も後半に差し掛かってきました。

店の側面に新しく付ける看板で 当初の私の構想より、さらに良い案が

朝礼での検討で上がってきたので、可能かどうか 初めて現場の足場を

工事の方と登ってみました。

ヘルメット着用との事です。

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新たにいろんな事が判明して、再度、考え直す事にしました。

社長の私が出した叩き台を 素直に検討して新しい意見を出してくれる社員、

また、その意見を直ぐに画像化して写真を見せてくれる社員に 感謝です。

今回の外装リニューアル、それに伴う内部レイアウトの変更は

「 女性目線で見て 素敵なオシャレな店 」が コンセプトですが、

私が口を開けば どうしても

「 男性目線の店 」 に なってしまうので、社員からのフィードバックが

とても大切です。

現場主義


2015年 10月31日です。今日は快晴です。

何事も現場にいなければ分からないなあ、、と思うことが最近、立て続けに

ありました。

一つは 先週末の夕暮れダンス。

こういう企画はどちらかと言えば苦手な方でしたが、

レトロ倶楽部の仲間が参加すると聞いて顔を出して見ました。

結果、最後の大団円では和かに踊っている自分がいました。

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少し覚めた目で見ていた自分と、その渦の中に入って溶け込んだ自分がいて、

何も動かずに「見学者の自分」と 「参加者 の 自分」を、振り返った時に、

圧倒的に後者の自分の方が今、好きな事に自分自身驚いています。

「 この感動は その場にいたものではないと分からないね 」と、レトロ倶楽部の仲間

達と話したものです。

 

もう一つは 先日のレトロ倶楽部でのある委員会での出来事でした。

委員長が 会長からのミッションという、どちらかと言えば 重い議題を

取り上げたのですが、その手法と進行のやりかたが とても新鮮で、

委員会全員のコンセンサスを取りながらの進行でした。

重い議題にもかかわらず、皆んな笑顔で楽しく討議を進めていく中で

その議題タイトルも 「 エーッ」と驚くようなタイトル名が付きましたが、

「 これはひょっとしたら、誤解されるよね。」 と、いうようなタイトル名と

なりました。

「 でも、みんなの意見総意で出来たタイトルだからいいか 」

という事になりましたが、これもその現場に居合わせた者でなければ

分からないものかも知れません。

 

昔、大阪の修行から 戻った当時 拝読した経営書に

「 全ての答えは現場に有り。経営者は決して現場から逃げてはいけない。

もし、現場を見ずして机に向うデスクワークをし始めたならば、それは

倒産の道を歩き出す事と同意語だ。」と、書かれてあった事が当時、20代前半

だった自分の心にグサっときました。

26歳の時に受講したDMP訓練では 「 任務第一 ・現場第一」を 皆川師から叩き込まれ

ました。少し意味合いが違うかも知れませんが、

今回、夕暮れダンス と レトロ倶楽部委員会でその事を思い出している自分が

いました。