2015年 5月27日です。
日創研体験記の続きです。 可能思考研修の最後LTを卒業して1年半ほど過ぎた頃、
LTでサブリーダーとして私を支えて下さったK氏とある会合で一緒になりました。
その時に
「 清春ちゃん、今回、田舞さんが新たに作った 業績アップ研修は凄いよ。」
と、勧められました。
「 どう凄いの?」 と、聞いたら
「 半年間の研修で 予定利益 ➕ ⚪️⚪️⚪️⚪️万円の利益が出たよ」と、答えられました
た。 ちょうどバブル景気が弾けて数年、我が社も大変な時期だったので
その言葉を聞いた瞬間に 私は業績アップ研修を受講する事を即決しました。
今は各地で開催されている業績アップ研修ですが、当時は東京と大阪しかなくて、
時期的に早い方の東京での研修に参加する事にしました。
そして、そこで私は経営者としての基礎を学ぶ事になるのですが、その研修も
当時は田舞さんが講師だったのです。
「 これはセミナーではありません、これは仕事です。」が 田舞さんの第一声でした。
それから 半年間、私は悩みながらも必死で宿題をこなし研修を続けていくのですが、
3カ月後に壁にぶち当たります。
同じ班だったリーダーに呼び出されました。
「 私は吉田さんの噂を聞いています。でも、今の貴方は何ですか!
ただ、自分の事だけではないですか! もっと人に関わってリーダー力を
発揮してくれないと困ります」
と、叱られたのでした。
「 自分の価値は何だろう、自分はどうしてこのクラスに何かを与える事が
出来るのだろうか?」と 自問自答した時に浮かんだのが
大学時代のクラブ活動でした。
大学時代、私はクラブで編集の役職にあり、クラブ員の投稿を編集する役割を
担っていました。
「 そうか、このクラスの会報を作ってみよう」と メンバーに電話で取材して
会報を作り始めました。当時はパソコンもワープロも打ちきらなかった私は
集めた原稿を妻に打って貰っていました。
研修の後半に毎週の様に発行していた会報が10号を超えた頃が
卒業でしたが、その時にはそのクラスも大きな成果を得られると共に
我が社でも田舞さんの言われる様にした結果、借入金利が大幅に下がって
いたのでした。
そしてその頃には自分は見よう見まねでワープロが打てる様になり、
卒業後は 会報が我が社の社内報へと変わり、毎月月末に発行している
我が社の社内報は目下238号、後2ヶ月で20年目を迎える事になる副産物が
付くのです。
そして業績アップ研修も今年の社員派遣で20年目を迎えます。
その後については、また後日書きますね。
- 2015年5月26日
- テーマ: 今日のブログ, 日本創造教育研究所
2015年 5月26日です。良いお天気ですね。
日創研体験記、その5です。
LTは3回に分けての研修でしたがその1回目も 田舞さんの担当という幸運に
恵まれました。
LT期間中にも様々な学びがありました。特に総リーダーとなった私はそこで
受講生のほとんどと深く関わり 学びを深めていくことが出来ました。
20年以上経った今でも年賀状をやりとりしている仲間がいます。
幸せな事ですよね。
その最終日の打上げの写真が下記の写真です。
とてもテンションも上がり、楽しい数ヶ月でしたが、本当の意味で日創研が
私に生きるのはそれから2年後の事だったのです。
それはLTで副リーダーとして私を支えて下さったK氏との再会での会話でした。
それについてはまた明日書きますね。
2015年 5月20日です。 良い天気ですね。
日創研体験記の続きです。第3コースのLTに行った私はその初日に大きな出来事
に遭遇します。
当時、福岡に泊まっている時、ビジネスホテルが取れない時はよくサウナを
利用していました。仕事の関係で商品の写真撮影の為に持参していた宝石類を
そのロッカーから盗まれたのです。
張り切って参加したセミナー2日目の朝にそれに気付きました。
警察署に通報したところ、何と被害届提出の為に8時間も警察署で過ごす事に
なったのです。
当然、2日目のセミナー参加は出来なくなり、リタイアを余儀無くされました。
夕刻、セミナー会場に戻った私は受講生の前でリタイアと理由を説明しました。
「 吉田さんと一緒だったからLTに参加したのに、、」と、泣いて下さるSCの
仲間もたくさんいました。私はそんな仲間に宣言しました。
「 次のLTはスケジュールの関係で参加出来ないけれど、その次のLTには
必ず参加して卒業します。どうぞ皆さん、先に卒業していて下さい」と。
後日談が二つあります。
その時、参加予定だったLTでは 「 参加したかった吉田さんが参加出来なくなった
分、頑張ろう」と、一人の落伍者も無く全員卒業した、、という噂を後で耳にしまし
た。
そしてもう一つは 盗難に遭った宝石類は駅のゴミ捨て場に放棄されていて、
( 現金数万円は盗られましたが) 100万円以上の宝石類は無事に手元に
戻ってきたのでした。
「 まだ自分にはツキが有る」と思った私は2ヶ月後、新たにLTに参加したのですが
そこで 懐かしい人と再会することになるのです。
もし、盗難事件が無ければ私に大きな影響を与える事になるその方との再会は
無かったと思えば不思議な縁を感じます。
続きはまた、明日書きますね。
2015年 5月19日です。雨が止んで良い天気ですね。
日創研体験記の続きです。可能思考研修の2段階目のSCに行ったのはSAが終えて
一月後の事でした。
SAで 実質のリーダーを務めた私は自信を持って参加しましたが、それも初日で
崩れ、波乱万丈の心のジェットコースターの連続でした。
終えた後、自分の心は何かスッキリとしていました。
SA, SCの二つの研修を通じて 自分の過去と向き合い、それも体が弱く学校も
休みがちだった小学校時代のひ弱な自分が心の中に封印していた言葉に気付き
それが研修で発散されて解放された爽快感だったのかもしれません。
そして、自分の価値が明確に言葉になったからかも知れません。
自分の生きる価値 ( 内容はここでは触れませんが) が 明確になった時、
心の中から湧き上がるような エネルギーを感じる事が出来ました。
そして、可能思考研修の最後のLTコースにと進むのですが、
そこでも大きな学びが有りました。それは明日書きますね。
2015年 5月18日です。 午後から雨の予報ですね。
今週は何回かに分けて 私の日創研の体験記を書きますね。
親友のM氏の紹介で私が日創研のセミナーに参加したのは40歳になったばかりの頃
でした。
セミナーの内容については書きませんが、そこで学んで生かせた事を時系列で
思い出しながら書いてみます。
先ずは、可能思考研修のSAコースから。
当時の私は公私共に煮詰まっており、今思えば大変な時期でした。
それを知っていた親友のM氏は わざわざ日創研の創始者、田舞徳太郎氏のSAを
選んで勧めてくれたのでした。(後で分かった事ですが)
普段、経営者としてリーダをしていた自分はせめてセミナー中はリーダーを
したくなくて、一受講生として参加していました。
しかし、SAコースのセミナーが終えた時には 実質リーダーとなっていた自分が
そこにいました
「 ああ、そうか! 自分は好むと好まざるとにかかわらず、リーダーをする運命なのだ
」 という事を心に感じながら 第一コースのSAコースを終えたのでした。
そして私の心の中に少し自信をもたらしてくれました。
それまでは 家業の長男に生まれたからという理由でリーダーになっているのかな、
と、思っていたのが、誰も知人もいない、肩書きも無い一個人として、参加した
研修で、リーダーに立候補しなかったにもかかわらず、
結果としてリーダー的役割を担う事が出来た自信だったのかも知れません。
また、セミナーの4日間、一切店の事を考える余裕も無く研修に没頭出来た事も
幸せを感じました。( 業界のセミナーなどでは絶えず店の事が頭から離れません
でしたが、この研修だけは没頭出来たのです。ある意味幸せでした。)
今から20年以上も前の事ですが、今でも鮮明に思い出すと共に、紹介して下さった
M氏に感謝でいっぱいです。
そしてこの田舞氏との出逢いが、私の人生を変え、我が社の体質を強くしていくの
ですが、続きはまた 明日書きます。