- 2015年11月13日
- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 動物物語
2015年 11月13日です。 このワンちゃん物語1の井上君から電話がありました。
楽しく今回のブログ記事を読んでると共に まだヤメは出産していないとの事でした。
高校1年のときにハチの死があって1年後、私の祖父、ヨシダの2代目が78歳で他界
しました。初めての近親者の死は私にとって衝撃でしたが、その死を受け入れられた
のは前年にハチとの別れがあったからかもしれません。
最近読んだある本に
「 もし、男の子がいたら犬を飼ってあげたら良い。最高の友人になるだろうし、
犬の寿命は大体15年だから最も多感な時期に死ぬ場合が多いから命の大切さを
子供に教えてくれるだろう」
と、書かれてありましたが、本当にそうかも知れません。
大学生になった私は博多での下宿生活を堪能していました。
学生証にはハチの写真を入れていつも持ち歩いていました。
大学のサークルはユースホステル同好会でしたが、このサークルは年に一度、
当時としては立派な機関紙を発行していました。
私はこの編集に携わっていました。
一年生の時にこの機関紙に原稿を掲載する事になり、私は 「 愛犬の死 」と題して
ハチの物語を今回の様に書きました。
結びは
「 あの日、父が言った言葉は本当は暖かい思いやりだったのかも知れない。
いつの日か僕が父親になった時出来ることならば子供に犬を飼わせてやりたいと
思う。そしてその犬の死に際した時に僕は父と同じ言葉をはき、子は僕と同じ事を
いうであろう。その時の僕の態度は・・・・と思いながらふと手にしたハチの首輪
から あの懐かしいハチのにおいと僕の少年時代のにおいがした。」
とのラストの言葉でした。
私にとってこの機関紙にハチの死を投稿した頃から何となくハチは遠い思い出の
中に封印されて忘れかけていました。
そして45年近く過ぎ去った昨年、私はこの大学時代の 「 愛犬の死 」の文章に再び
接する事になるのですが、それは機関紙ではなくて何と、思いもよらない意外な
ところだったのです。それはまた明日書きますね。
- 2015年11月12日
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2015年 11月12日です。 店の外装工事も2/3すみました。
こうした大きな店の改装は今回は17年ぶりですが、50年前も大きな改装を
した時期があります。それは私が高校時代の頃です。店の裏庭まで店を拡張する
事になりました。それは愛犬ハチの居場所が少なくなる事でもありました。
店の工事中、ハチは床下に潜って仲々出て来ませんでした。半年後出来上がった
店の裏には庭が無くなり小さな通路があるだけでしたが、そこがハチの居場所でした
。そして老衰のために脚が弱ってきたハチは玄関横の下駄箱の下にうづくまって、
動けなくなってきました。
獣医に診てもらいました。フィラニアという病気でした。父が
「 このままここで静かに死なせてあげよう」と 言いました。
然し、幼かった私は泣いてすがって動物病院への入院を懇願しました。
小学校の時に入院して元気になったハチの姿が忘れられなかったのです。
父は 「 お前がそこまで言うなら、、」と 入院手続きをとってくれました。
動物病院に入院させて帰るとき、ハチは檻の中から、悲しそうな目でクーンと言って
私を見ました。
翌日、学校にいても気が気ではありません。
授業が終えるや否や 動物病院に直行しました。
そこにはハチが入っている檻があるはずでした。然しその檻は空でした。
獣医の先生が一言
「 一時、元気になったのですが、、」と、つぶやき、ハチの匂いが染み付いた
首輪を差し出しました。
「 ああ、何て寂しかったろう、 そばに付いてやれば良かった、
父が言うように家で死なせてあげれば良かった」という後悔で胸が張り裂けそうに
なって 泣きながら首輪を持ちながら帰った秋の日を思い出します。
そしてこの愛犬の死が50年も経った昨年、新たに思わぬ出来事として
自分の前に現れるとは知る由もありませんでした。
それは、また明日書きますね。
- 2015年11月11日
- テーマ: 今日のブログ, 動物物語
2015年 11月11日です。 ワンちゃん物語の続きです。
中学生になった私は高校受験勉強を夜していました。
深夜になって眠気覚ましによく散歩に出かけました。
その時に愛犬ハチを伴って出かけたのです。深夜ですから、鎖なしでも
目立ちません。ほとんど人はいないのですから。
そうしてハチとの深夜散歩のある日のこと、門司駅の前に当時は屋台のラーメン屋
さんが3件も営業していました。ラーメンを食べたくなった私はその夜はハチを
連れずに一人で出かけたのです。散歩して、ラーメンを食べて家に戻ると
煌々と明かりが点いています。
家の前には両親が怒った顔で待っていました。
何事かと思っていましたら、散歩に連れていかなかったのでハチがワンワンと
吠え続けて止まず、何と一時間近く吠え続けていたそうです。
その声で一家みんなが起こされたという事でした。
門司駅前の屋台のラーメン屋さんは無くなりましたが、今でも戸の上通りに同じ
味の屋台のラーメン屋さんが在ります。聞けば当時の二代目の方だそうです。
時折、そこでラーメンを食べるたびにこの事を思い出してしまいます。
そんなエピソードもありましたが私が高校生になる頃にはハチも歳をとり、
死期が近づいてきていたのですが、、、その死にあたり、私には辛い思い出が
あるのです。それはまた、明日書きますね。
- 2015年11月9日
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2015年 11月8日です。昨日に続いてワンちゃん物語です。
小学校1年生の時に、店に迷い犬が来て飼う事になりました。
雑種犬のその子犬は忠犬ハチ公にちなんで ハチと名付けられ、私の友となりました。
店の裏庭で飼われていたハチでしたが、ある日、近所の子供を噛んでしまいました。
祖母が買って来たばかりにのスイカを持って謝りにいきました。
私が食べ損なって残念な思いをしましたが、昭和30年ごろの
当時は 犬が噛んでもスイカ一つで済んだ訳ですから大らかなものですね。
今なら新聞記事ですよね。
何時も一緒だった私とハチでしたが、小学校4年生の時に店先で車にはねられて
ビッコを引く様になりました。犬猫病院に入院して手術をすれば治るという事で
入院して手術となりました。病院まで買ったばかりの車で父が運転して、私が横に
ついていきました。ハチは捨てられるかと思ったのでしょうか、目から涙が出て
悲しそうな表情でした。
「 あ、犬でも泣くんだ、涙をながすんだ」と、びっくりした事を今でも覚えています
見舞いに行くとクーン、クーンと泣いて、私たちが病院を出るといつまでも
ワンワンと吠えていました。
2週間ほどして帰って来ました。無事に脚は治って走れる様になりましたが、
車を恐れて店先には出なくなりました。
小学校6年生の時に何時も一人では( 一匹では) 寂しかろうと、同じ犬を飼っていた
友人とお見合いをさせました。その友人宅に行く途中に別の犬と仲良くなって
妊娠しました。ハチはメスだったのですね。
ちょうどお産の頃、ヨシダの社員旅行と重なって2日ほど留守にしました。
帰宅したところ、大きかったハチのお腹は小さくなっていました。
家族もみんな留守の間に流産でもしたのでしょうか、今となっては分かりませんが。
この頃は本当に大らかな時代で 学校の宿題も友人と歩いて20分ほどの 滝の観音と
言われる地元のお寺で宿題のプリントをしていました。
ハチはほとんどついて来ていました。車には敏感でしたが、私が行く時には
ついて来ていました。 今と違って鎖も紐も無くて、そのまま嬉しそうに
付いて来ていました。そんな光景が普通の事だったのです。
そして私は中学生になります。この頃になりますと、鎖付き、紐付きが義務化されて
くるのですが、そこで私は一計を案じます。
その続きは明日、書きますね。
2015年 11月7日です。
昨日も嬉しい接客をさせて頂きました。
9月に井筒屋パステルホールにて開催された北九州市初の 「 終活フェア 」に
ヨシダも出店したのですが、その時に知ったといわれて わざわざ八幡から
上品な年配のお客様が お見えになられました。S様といわれる新規の女性の方です。
地金買取の話になり、かなりたくさんの宝石と貴金属を買取らせて頂いたのですが、
その中に、金の懐中時計も有りました。
金の鎖も22金でしたので、買取金額もかなり高額になったのですが、その奥様は
今ひとつ、うかぬ顔です。
「 実は主人の形見なので懐中時計についている一分銀の硬貨に思い入れが
あるのです。」 との事でした。
「 ならば、その一分銀のところだけを外してペンダントにしましょうか。」
と、ご提案したところ、
「 そうして頂ければ本当に嬉しいわ」と、いう事で、一分銀を外して
金の懐中時計と、金の鎖も買取らせて頂きました。
「 奥様、金の鎖は業者に売却しますが、この懐中時計は私が保存して、
ヨシダコレクションの中に入れようと思っています。」
と、言いますと
「 それは嬉しいです。いつそのコレクションは公開なさるのですか?」
「 毎年、6月10日の時の記念日に合わせてたくさんの珍しい時計を公開するの
ですが、その中の一つにと考えています。
「 そうして頂けると本当に嬉しいです。私、毎年見に来ます。
この懐中時計に会いに来ます」
と、本当に嬉しそうに仰られてお帰りになられました。
そういえば私が所属しております門司港レトロ倶楽部でも、こんな体験が
有りました。 毎年、レトロひな祭りが2月ごろ、開催されますが、このひな人形は
市民の方々の寄贈がほとんどです。3年前、そのお手伝いをさせて頂いていた時の
事です。
「 アッ、今年は有った!」 という驚きの声に振り返ってみましたら、
中年とご高齢の見るからに親子様だと推察されるお二人が 嬉しそうに飾られた
雛人形をご覧になられていました。
お伺いすると、家が引越して狭くなり、雛人形を飾れなくなり数年前に寄贈なされた
という事でした。毎年、雛祭りの時期に門司港に来られてその雛人形を探して歩き、
何年かに一度、出逢う事が楽しみだと話されてその飾られた雛人形の前で 記念写真
を撮られていました。( 私がシャッターを押させて頂きましたが、、)
人には思い出の品が有り、その品が自分の手を離れたとしても、飾られたりすると
訪ねて会いにいくほどの思い出があるのですね。
今回、S様から買取らせて頂いたこの懐中時計もヨシダコレクションの一つとして
大切に保存、そして毎年6月には展示して参りたいと思います。
S様にはその後、めがねまでお買上げ頂いて感謝です。