- 2014年11月10日
- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ
2014年 11月10日です。 先月、35年前に亡くなった祖母の文箱が出て参りまして
中にはヨシダの貴重な戦前の資料や写真が入っていました。
現在、その整理中ですが、その中に 甲宗八幡宮の宮司様から頂いた書が
ありました。

現在の宮司様にお知らせしましたら、曽祖父の方の書だという事が
分かりましたので、現在の所有者の叔母の許可を得て、甲宗八幡宮さんに
お返しすることに致しました。
取りに見えられた時の写真が上の写真です。
甲宗八幡宮さんには無いとの事でしたので、少しは祖母がお役に立てたのかも
しれません。
ヨシダには戦前の資料もここ数年、増えて参りました。
吉田家に保存してあった写真などの資料だけでなく、お客様がご持参下さって
頂いた資料も数多くございます。
本当に有難い事です。
今回の書も甲宗八幡宮さんで大切にして頂けると思います。
遠い昔に亡くなった祖母の喜ぶ顔が浮かびます。
2014年 11月2日です。 もう今年もあと2ヶ月となりました。
昨日、我が社のバックヤードに 商品の撮影コーナーが出来ました。


最近、ブログやホームページなどで 取扱商品の写真を載せる機会が多くなり、
従来の撮影機材より、グレードアップした機材を購入したので、いちいち
セットしなくてすむ様に 撮影コーナーを常設した訳です。
これで、商品のご紹介も、商品の管理もやり易くなりそうです。
来年は 我が社も創業130周年を迎えますので、
従来の壁を破ってさらに、グレードアップしたイノベーションを
しなければいけないと考えています。
今月は、来年に向けた考察をする月になりそうです。
2014年 9月16日です。 良い天気ですね。
一昨日、昨日と祖母の随筆の事を書いていましたが、今日はその延長線上での
物語が合ってびっくりしています。というのは祖母の随筆と共に懐かしい写真も
何枚か出て来たのです。その中の一つに50年前の 時の記念日の店頭写真が
ありました。当時の店員さんが 無料時計点検を店頭で行っている写真でした。

Oさんというその店員さんの事をふと思い出していましたら、何とそのOさんが
店に来店されたのです。それも父のご仏前にお参りに来られたのです。
余りの偶然に驚いてしまいました。
数年前に一度、来られたそうですが、その時は私は出張中で逢えず、今日の再会は
実に中学生の時以来、50年ぶりの再会でした。さっそく数年前に退社した専務も
来て頂いて昔話に花が咲きました。

ヨシダにはこうして在籍し、かつ退社された方が何人もおられますが、
こうして80歳にもなられてもお元気で、訪ねて来て下さる事に深く感謝の
思いで一杯の良い連休明けの1日となりました。
ここ1週間ほど、人との絆を感じさせられる日々が続いています。
明日は109回目の(32年連続の)バスハイクの日となりますが、
お客様や社員との絆を深める日にしたいと 改めて思いました。感謝です。
2014年 9月15日です。良い天気ですね。
昨日、ブログに書いた祖母の遺言書に似た随筆の件ですが、吉田家の親族と
電話で話す事が多くなり、再度、文箱を探して見ました。
そうすると新たな発見がありました。 先ずは昭和57年に私が祖母の和歌や俳句を
まとめて本にした 「 折にふれて」が出て参りました。


勿論、これは私が編集した訳ですから自分も持っていて、想定範囲の事だったのです
が、驚いたのは病床日誌の中に
「 25歳の清春さんに教えられた事」と記された文章でした。


大学時代のクラブの雑誌に 「 愛犬の死」と題して投稿した文章が綺麗に
貼り付けられてありました。そして感想の文章が綴られていました。
まさか祖母がこうして大切なノートにスクラップまでしてくれているとは
露知らず、驚きました。と、同時に祖母にも愛されていたのだなあと
実感し、嬉しく思いました。私には兄弟従兄弟が8人おりますが、
その8人とも随時、いろんな箇所に登場し、祖母の愛情を感じる事が出来た
数日間となりました。感謝です。
2014年 9月14日です。良い天気ですね。
2日前、父の母である祖母の遺言書の様な随筆が出て参りました。

父の妹、私にとって叔母の家をリフォームする事になり、その片付けをしている
時に祖母の文箱が出てきたそうで、それを従兄弟が持って来てくれたのです。
昭和51年に祖母が80歳の時に、父をはじめとする子供達に向けた文章で、
原稿用紙に 「 吉田家の一端」と記されて有りました。

達筆な字で書かれてあったので二時間かけてワープロにて書き写して見ました。

そこには吉田家9代目の曽祖父が 吉田時計店を創業した時の話から、
子供達に対する思い、孫の私達に対する願い、そして一族に対する感謝の
言葉が綴られておりました。
単に読むだけでなく、書き写している訳ですから、祖母の一字一字に対する
思いが汲み取れて思わず涙が出て参りました。
晩年は病弱で入院や退院を繰り返していた祖母でしたが、祖父との結婚話の
話や子に対する思いなど、元気な頃の幸せ感を感じる事が出来て孫としても
嬉しい文章でした。
中でも曽祖父の初代が、日露戦争の時のロシアの捕虜に沢山の着物を
差入れした話や、当時の門司中学に青年育成金を始めたというエピソードなど
初めて知る事が多く驚きました。
今年は吉田家のルーツである家系図を新しくしたり、その明治以降の
家系図2巻目を姉が作ったりと吉田家のルーツに縁が深い年の様です。