- 2015年6月1日
- テーマ: ヨシダの歴史, 日本創造教育研究所
2015年 6月1日です。良い天気ですね。
日創研体験記の続きです。
業績アップコースで学んだ実績を胸に勇んで上級コースに進んだ私でしたが、
その初日に又、ショックをうけます。
150人位の参加者でしたが、集まった皆さんはさすが上級コースだけあって
素晴らしい実績の皆様ばかりでした。私の実績などとても小さな成果で、
それに有頂天になっていた自分を恥ずかしく感じました。
世の中は不況でしたが、ここではその雰囲気は全くありません。
セミナー会場自体に熱気とオーラが満ちていました。
田舞さんの講義で
1: サイエンス 2: シンプル 3: スピード を 教えて頂きました。つまり、
1: 科学的に 2: シンプルに 3: スピード感持って経営せよ という事です。
心をリセットして、半年間で3年先迄の決算書迄 作りました。
ある意味で、先が見えると言いましょうか、先見性が養われた気がします。
講義の合間での色んな成功なされておられる社長さんがたの実体験の講義が
特に心に沁みました。
中小企業はコアコンピタンスを磨いて、オンリーワン企業を目指さなければ
生き残れない事を痛感しました。
早いもので、もうそれから15年が経とうとしています。
本当に今日、我が社があるのは 日創研のお陰だと心から感謝しています。
最後に何故、8回もこの日創研体験記を記載したのかを明日のブログで
書こうと思っています。
2015年 5月28日です。曇空ですね。
日創研体験記の続きです。
こうして業績アップ研修で一定の成果を得る事が出来た翌年から、
毎年、社員を業績アップセミナーに参加させ始めました。
翌年には4桁の経費節減が出来ました。
「 このお金を使って、テナント経営を辞めて自社物件で店を作ろう 」
と、社員一丸となって本店の建設に取り掛かりました。
田舞さんの言われた通りにしたら銀行金利も下がったので、今度も言われた通りに
遊休不動産を売却して、自社物件の資金に当てました。
様々な方々のご協力を得て、自社ビルが完成したのが平成10年の事でした。
そして、自分では実績を上げたつもりで 業績アップの上級コースに進むのですが、
そこでも多くの学びがありました。
それについてはまた明日書きますね。
2015年 5月27日です。
日創研体験記の続きです。 可能思考研修の最後LTを卒業して1年半ほど過ぎた頃、
LTでサブリーダーとして私を支えて下さったK氏とある会合で一緒になりました。
その時に
「 清春ちゃん、今回、田舞さんが新たに作った 業績アップ研修は凄いよ。」
と、勧められました。
「 どう凄いの?」 と、聞いたら
「 半年間の研修で 予定利益 ➕ ⚪️⚪️⚪️⚪️万円の利益が出たよ」と、答えられました
た。 ちょうどバブル景気が弾けて数年、我が社も大変な時期だったので
その言葉を聞いた瞬間に 私は業績アップ研修を受講する事を即決しました。
今は各地で開催されている業績アップ研修ですが、当時は東京と大阪しかなくて、
時期的に早い方の東京での研修に参加する事にしました。
そして、そこで私は経営者としての基礎を学ぶ事になるのですが、その研修も
当時は田舞さんが講師だったのです。
「 これはセミナーではありません、これは仕事です。」が 田舞さんの第一声でした。
それから 半年間、私は悩みながらも必死で宿題をこなし研修を続けていくのですが、
3カ月後に壁にぶち当たります。
同じ班だったリーダーに呼び出されました。
「 私は吉田さんの噂を聞いています。でも、今の貴方は何ですか!
ただ、自分の事だけではないですか! もっと人に関わってリーダー力を
発揮してくれないと困ります」
と、叱られたのでした。
「 自分の価値は何だろう、自分はどうしてこのクラスに何かを与える事が
出来るのだろうか?」と 自問自答した時に浮かんだのが
大学時代のクラブ活動でした。
大学時代、私はクラブで編集の役職にあり、クラブ員の投稿を編集する役割を
担っていました。
「 そうか、このクラスの会報を作ってみよう」と メンバーに電話で取材して
会報を作り始めました。当時はパソコンもワープロも打ちきらなかった私は
集めた原稿を妻に打って貰っていました。
研修の後半に毎週の様に発行していた会報が10号を超えた頃が
卒業でしたが、その時にはそのクラスも大きな成果を得られると共に
我が社でも田舞さんの言われる様にした結果、借入金利が大幅に下がって
いたのでした。
そしてその頃には自分は見よう見まねでワープロが打てる様になり、
卒業後は 会報が我が社の社内報へと変わり、毎月月末に発行している
我が社の社内報は目下238号、後2ヶ月で20年目を迎える事になる副産物が
付くのです。
そして業績アップ研修も今年の社員派遣で20年目を迎えます。
その後については、また後日書きますね。
- 2015年5月21日
- テーマ: ヨシダの歴史, 日本創造教育研究所
2015年 5月 21日です。
日創研体験記の続きです。再び第3段階のLTに参加した初日に、
「 吉田さん、同じLTですね。」と、声をかけられました。
10年ほど前に別の研修で出逢った事の有るK氏でした。
私より3歳年長のK氏は笑みをたたえながら話しかけて下さいました。
盗難事件でスライドした自分にはそのLTではSAやSCの仲間がいなかったので
心強い思いがしました。
再度、LTに参加する前に 紹介者のM氏にこう言われました。
「 SA、SC、LTの3コースを全てリーダーをした人はまだいない。もし、君が
それをしたら価値があるよね」と。
そのチャレンジを考えていた自分はK氏にその相談をしました。
K氏は 笑って
「 吉田さん、やったらいい。僕がサブリーダーとして支えるから」と、言って
下さいました。そして私は福岡24LTの総リーダーに立候補して務める事になる
のですが、そのLTの一回目の講師がこれまた、田舞徳太郎氏だったのです。
なんという幸運なのでしょうか。
LT期間中の体験は また明日書きますね。
2015年 5月20日です。 良い天気ですね。
日創研体験記の続きです。第3コースのLTに行った私はその初日に大きな出来事
に遭遇します。
当時、福岡に泊まっている時、ビジネスホテルが取れない時はよくサウナを
利用していました。仕事の関係で商品の写真撮影の為に持参していた宝石類を
そのロッカーから盗まれたのです。
張り切って参加したセミナー2日目の朝にそれに気付きました。
警察署に通報したところ、何と被害届提出の為に8時間も警察署で過ごす事に
なったのです。
当然、2日目のセミナー参加は出来なくなり、リタイアを余儀無くされました。
夕刻、セミナー会場に戻った私は受講生の前でリタイアと理由を説明しました。
「 吉田さんと一緒だったからLTに参加したのに、、」と、泣いて下さるSCの
仲間もたくさんいました。私はそんな仲間に宣言しました。
「 次のLTはスケジュールの関係で参加出来ないけれど、その次のLTには
必ず参加して卒業します。どうぞ皆さん、先に卒業していて下さい」と。
後日談が二つあります。
その時、参加予定だったLTでは 「 参加したかった吉田さんが参加出来なくなった
分、頑張ろう」と、一人の落伍者も無く全員卒業した、、という噂を後で耳にしまし
た。
そしてもう一つは 盗難に遭った宝石類は駅のゴミ捨て場に放棄されていて、
( 現金数万円は盗られましたが) 100万円以上の宝石類は無事に手元に
戻ってきたのでした。
「 まだ自分にはツキが有る」と思った私は2ヶ月後、新たにLTに参加したのですが
そこで 懐かしい人と再会することになるのです。
もし、盗難事件が無ければ私に大きな影響を与える事になるその方との再会は
無かったと思えば不思議な縁を感じます。
続きはまた、明日書きますね。