- 2015年11月9日
 
						- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 動物物語
 
					
					
					
2015年 11月8日です。昨日に続いてワンちゃん物語です。
小学校1年生の時に、店に迷い犬が来て飼う事になりました。
雑種犬のその子犬は忠犬ハチ公にちなんで ハチと名付けられ、私の友となりました。

店の裏庭で飼われていたハチでしたが、ある日、近所の子供を噛んでしまいました。
祖母が買って来たばかりにのスイカを持って謝りにいきました。
私が食べ損なって残念な思いをしましたが、昭和30年ごろの
当時は 犬が噛んでもスイカ一つで済んだ訳ですから大らかなものですね。
今なら新聞記事ですよね。
何時も一緒だった私とハチでしたが、小学校4年生の時に店先で車にはねられて
ビッコを引く様になりました。犬猫病院に入院して手術をすれば治るという事で
入院して手術となりました。病院まで買ったばかりの車で父が運転して、私が横に
ついていきました。ハチは捨てられるかと思ったのでしょうか、目から涙が出て
悲しそうな表情でした。
「 あ、犬でも泣くんだ、涙をながすんだ」と、びっくりした事を今でも覚えています
 
見舞いに行くとクーン、クーンと泣いて、私たちが病院を出るといつまでも
ワンワンと吠えていました。
2週間ほどして帰って来ました。無事に脚は治って走れる様になりましたが、
車を恐れて店先には出なくなりました。
小学校6年生の時に何時も一人では( 一匹では) 寂しかろうと、同じ犬を飼っていた
友人とお見合いをさせました。その友人宅に行く途中に別の犬と仲良くなって
妊娠しました。ハチはメスだったのですね。
ちょうどお産の頃、ヨシダの社員旅行と重なって2日ほど留守にしました。
帰宅したところ、大きかったハチのお腹は小さくなっていました。
家族もみんな留守の間に流産でもしたのでしょうか、今となっては分かりませんが。
この頃は本当に大らかな時代で 学校の宿題も友人と歩いて20分ほどの 滝の観音と
言われる地元のお寺で宿題のプリントをしていました。
ハチはほとんどついて来ていました。車には敏感でしたが、私が行く時には
ついて来ていました。 今と違って鎖も紐も無くて、そのまま嬉しそうに
付いて来ていました。そんな光景が普通の事だったのです。
そして私は中学生になります。この頃になりますと、鎖付き、紐付きが義務化されて
くるのですが、そこで私は一計を案じます。
その続きは明日、書きますね。
				
				 
							
					
					
					
						- 2015年11月8日
 
						- テーマ: ヨシダの歴史, 今月のヨシダ, 動物物語
 
					
					
					
2015年11月8日です。 良いお天気ですね。
今日は門司にて世良公則さんの ペット殺処分反対のトークショーが開かれるそうです
が、同じ殺処分に関して一昨日、ある素敵なエピソードに接する事が有りました。
幼稚園時代からの友人、井上君が訪ねて来ました。お父様の代から鉄工所を経営され
ており、今回、ヨシダのストックケースの事で相談したら、早速駆けつけてくれたの
です。見送りに駐車場に行ったら何と 車の中にワンちゃんがいるではないですか!


しかも、2匹もいるのです。井上君とワンちゃん二匹と共に門司港店まで参りました。
本当におとなしいワンちゃんですが、小さいほうのワンちゃんは身ごもっていて、
あと10日足らずで出産だそうです。

井上君が目を輝かせて話し始めました。
夏の終わりにふとした事で、八女市にてこの犬の殺処分を知ったそうです。
可哀想に思って遠賀郡の自宅から八女市まで、殺処分予定のこの犬に会いに行って
自分で飼う事にしたそうです。
八女市から来たので 名前も ヤメ にしたそうです。
3年前に迷い込んで飼っていた ワン と名付けた犬と共に飼っていたら、犬同士が
夫婦になった様です。
「 すごいと思わないかい、命が亡くなる予定だったヤメが 新しい命を授かったん
だよ。命の継承だよ。」
と、井上君は言葉を続けました。
門司港店でも ヤメ も ワン も 大人気です。

そういえば、、と、私は昔、自分が飼っていた犬を思い出していました。
単なるペットの思い出話ではなく、少し長い話になりますので、明日から何回かに
分けて書いてみます。
				
				 
							
					
					
					
						- 2015年11月5日
 
						- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 補聴器コンサート
 
					
					
					
2015年 11月5日です。
昨日は 第7回目の補聴器コンサートを行いました。

場所は 旧門司三井倶楽部です。補聴器をかけているとイマイチ音が良く聴こえない、
ハウリングがあれば周りの人に迷惑をかけるかも知れない、、などの理由で
「 音楽は好きだけど、コンサートには行きづらい 」などのお客様からのお声を
お伺いして、「 ならば、補聴器の方だけのコンサートを開催したらどうだろう」と、
始めたのが もう5年も前の話です。
最初は一年に一回の開催でしたが、好評なので最近は年に2回の開催となりました。

早く来られたお客様とは今年、リニュアルされた林芙美子資料館もご案内
させて頂きました。
そしていよいよ始まりです。
はじめに映像で補聴器の具合をチェックして、聴こえづらい方には調整を
行います。そして、いよいよ本番のピアノコンサートです。
前回はクラシックでしたが、今回は 映画音楽と叙情歌の音楽です。
叙情歌の時には3曲も ピアノに合わせてお客様も合唱です。
「 青い山脈 」 や 「 ふるさと 」は やはり盛り上がりますね。

 
その後、ランチタイムを経て解散となりますが、たくさんのお客様の笑顔に
触れて 開催している私も社員も幸せな気持になれます。
お客様と共有出来る素敵な時間に 感謝です。
				
				 
							
					
					
					
						- 2015年11月3日
 
						- テーマ: めがね, ヨシダの歴史, 今日のブログ, 宝石
 
					
					
					
2015年 11月3日です。 もう今年もあと2ヶ月なんて信じられませんね。
9月上旬からの店の外装工事も後半に差し掛かってきました。
店の側面に新しく付ける看板で 当初の私の構想より、さらに良い案が
朝礼での検討で上がってきたので、可能かどうか 初めて現場の足場を
工事の方と登ってみました。
ヘルメット着用との事です。

新たにいろんな事が判明して、再度、考え直す事にしました。
社長の私が出した叩き台を 素直に検討して新しい意見を出してくれる社員、
また、その意見を直ぐに画像化して写真を見せてくれる社員に 感謝です。
今回の外装リニューアル、それに伴う内部レイアウトの変更は
「 女性目線で見て 素敵なオシャレな店 」が コンセプトですが、
私が口を開けば どうしても
「 男性目線の店 」 に なってしまうので、社員からのフィードバックが
とても大切です。
				
				 
							
					
					
					
						- 2015年10月31日
 
						- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 門司港レトロ倶楽部
 
					
					
					
2015年 10月31日です。今日は快晴です。
何事も現場にいなければ分からないなあ、、と思うことが最近、立て続けに
ありました。
一つは 先週末の夕暮れダンス。
こういう企画はどちらかと言えば苦手な方でしたが、
レトロ倶楽部の仲間が参加すると聞いて顔を出して見ました。
結果、最後の大団円では和かに踊っている自分がいました。

少し覚めた目で見ていた自分と、その渦の中に入って溶け込んだ自分がいて、
何も動かずに「見学者の自分」と 「参加者 の 自分」を、振り返った時に、
圧倒的に後者の自分の方が今、好きな事に自分自身驚いています。
「 この感動は その場にいたものではないと分からないね 」と、レトロ倶楽部の仲間
達と話したものです。
 
もう一つは 先日のレトロ倶楽部でのある委員会での出来事でした。
委員長が 会長からのミッションという、どちらかと言えば 重い議題を
取り上げたのですが、その手法と進行のやりかたが とても新鮮で、
委員会全員のコンセンサスを取りながらの進行でした。
重い議題にもかかわらず、皆んな笑顔で楽しく討議を進めていく中で
その議題タイトルも 「 エーッ」と驚くようなタイトル名が付きましたが、
「 これはひょっとしたら、誤解されるよね。」 と、いうようなタイトル名と
なりました。
「 でも、みんなの意見総意で出来たタイトルだからいいか 」
という事になりましたが、これもその現場に居合わせた者でなければ
分からないものかも知れません。
 
昔、大阪の修行から 戻った当時 拝読した経営書に
「 全ての答えは現場に有り。経営者は決して現場から逃げてはいけない。
もし、現場を見ずして机に向うデスクワークをし始めたならば、それは
倒産の道を歩き出す事と同意語だ。」と、書かれてあった事が当時、20代前半
だった自分の心にグサっときました。
26歳の時に受講したDMP訓練では 「 任務第一 ・現場第一」を 皆川師から叩き込まれ
ました。少し意味合いが違うかも知れませんが、
今回、夕暮れダンス と レトロ倶楽部委員会でその事を思い出している自分が
いました。