2023年 4月21日です。午前中に門司港の出光美術館に
参りました。新しく公開される展示会のレセプションへの
出席のためです。

館長の出光佐千子様との記念写真です。
佐千子様とは数年前、私の恩師の日創研の田舞徳太郎代表から
頼まれて講演依頼をさせて頂いて以来の再会でした。

今回の展示会後に特別に日章丸がアビダンから奇跡ともいわれる
帰国した際にはたむかせていたという日の丸の旗を見せて
頂きました。

その時から70年を迎えての初の公開だそうです。
はためきのせいか破損した部分も有り、それが入港前に直された
跡も有り、触れさせて頂いて当時の歴史と 日本人としての
誇りを感じることが出来ました。

海賊と呼ばれた男の本や、映画を思い出しながら感慨深く
拝見させて頂きました。
出光佐三様とは色々な吉田家との繋がりがあるのですが、
いつかその話も書きたいと思っています。
さア、午後から店頭で頑張ります。
- 2023年4月15日
- テーマ: めがね, ヨシダの歴史, 今日のブログ, 思い出話
2023年 4月15日です。ファサードの思い出の最終回です。
毎年、3月にはお雛様を飾りますが、三人官女には
「時計」「宝石」「めがね」を持ってもらいます。

今年の端午の節句の兜にはサングラスを掛けてみました。

こうした遊び心がディスプレイしていて楽しいですね。
展示品を見られてお買上げに繋がる事も多々あります。
これからも亡き母の想いを大切にファサードにも気を配って
楽しみながらディスプレイして参ります。
★ ファサード編を4回に渡り書きましたが読んで下さり
ありがとうございます😊
- 2023年4月13日
- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 思い出話
2023年 4月13日です。ファサードの話の続きです。
2000年を迎える直前のファサードです。

社員と共に年に数度、楽しみながらディスプレイしていたのですが、
いつも頭を悩ませていたのはライティングでした。
夜は目立つのですが、昼間は太陽の光には勝てず、ウインドが
反射してしまうのですね。
そんな時にカラーコルトンを知りました。
内側からLEDで照明するので目立つのです。
2014年、改装の折にカラーコルトンをファサードの中に
入れました。

メーカーさんも一般の店に設置するのは初めてらしく、
実験も兼ねて随分と安く設置してくれたのはラッキーでした。
中の写真入替の価格もも思いの外、安価で助かっています。
令和になる頃のファサードです。
令和に
2019年、表の植木も花壇に変更して楽しく致しました。

そして、ファサードのたくさんの逸話の中から、
とても嬉しい思い出がありますが、それはまた明日書きますね。
- 2023年4月12日
- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 思い出話
2023年 4月12日です。ファサードの思い出の続きです。
店を改装した1998年、今は亡き母が言いました。
「普通のお店とは違った店にしたい。思いがあるのよ」と、
店の中に噴水を作り

ステンドグラスも入れました。

それもメキシコから取り寄せる程の入れ込みです。
「でもね、清春、店の外はもっと大切だからメインウインドは
キレイに季節感を出さねばダメよ」
と、言われて、季節ごとに変えていきました。
下記の写真はヨシダビル完成時のファサードです。

そんな中で私が特に気に入ったディスプレイを数点載せますね。
先ずは「月光仮面」です。

昭和33年時の撮影の使われたという同じ型のオートバイを
宝珠山村ふれあい館からお借りして飾リ
新聞にも載せました。平成11年の話です。

(続きはまた明日、書きますね)
- 2023年4月11日
- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 思い出話
2023年 4月11日です。昨日、ファサードの入替をしていた時の
逸話です。今日妹から聞きました。
入替中にずーっと見ておられたご婦人がおられたそうです。

入替が終えた時に話しかけてこられたそうです。

「毎回、楽しみにしていますよ。3月の雛祭りも良かったけれど、
今回の兜も良いですね。心が和みます」
と、言われたそうで喜んでいました。
このファサードの物語、、少し長くなりますがご興味の
あられる方は読んで見て下さいね。
そう、あれは私が中学生だった頃、店を改装してメインウインドも
出来ました。母がそこで四季折々に季節のディスプレイを
していました。唯一残っている写真が下記の写真で、人物はヨシダの
2代目の祖父です。昭和40年の時の記念日の写真です。

ある日の学校の授業で、国語の先生が
「門司駅のある時計屋さんが、いつも綺麗に四季折々の飾りを
しています。商品ばかりを展示しているお店が多いですが、
季節感を出している店は少ないですよ」
と、私の方を見ながら話して下さいました。
「ア、僕の店だ!」と、とても嬉しかった事を今でも覚えています。
その後、幾度か店の増改築が繰り返されましたが、メインウインドは
陽当たりの関係もあってガラスだけになっていました。

平成4年の我が社です。メインウインドは無くガラス面に販促企画を
貼っていました。
ただ、中学校での上記の体験が
ずーっと脳裏に残っており、平成10年に今の店を
立て直した時に再びメインウインドを作り、母やスタッフと共に
ディスプレイをする様になりました。
(続きは明日、また書きますね)