めがね、時計、ジュエリー宝石リフォーム、補聴器のことなら安心と信頼の福岡県北九州市門司のヨシダ

コツコツの大切さ


2018年 2月20日です。今夜は私が会長を務めさせて頂いている

皆川DMP研究会の例会が小倉で開催されます。

この会は名称変更前の DMP北九州時代から数えると39年もの

歴史のある経営者と経営幹部の勉強会です。

今夜は古賀覚氏の講演を予定しています。

古賀氏は 大手建設会社のリフォーム部のサラリーマンの方ですが、

3年ほど前からこの会に参加され、そこで学ばれた事を

ひとつづつ コツコツと確実に実行に移されて、

本職の800名にも及ぶ同僚の中で見事に顧客満足度1位に

選ばれた方です。もちろん営業成績もDMPで学ばれた事を

生かされてベスト10に入ってそうです。

学んだ事をコツコツと実行までもっていかれた古賀さんの

具体的なお話を今夜 聞かせて頂きたく楽しみにして

おります。

門司を美しくする会 総会


2018年 2月9日です。午前中、ある総会に出席しました。

14年前に立ち上げた 門司を美しくする会の総会です。

立ち上げた時は15団体、当時2800件あった門司の

刑事犯罪数が この活動を始めた時から減少に転じ、昨年は580

件と81%も減少しました。

加入団体も新たに2団体増えて52団体1890名もの組織と

なりました。会長は門司区長、副会長は一期会の八坂和子氏と

私が承っております。

毎月の様にどこかの団体が街美化の活動をなされ、落書きを消し、

最近では重要文化財の清掃や、レトロイベントの後片付けまで

するようになりました。

この様な地道な活動が門司を安全、安心の街にし、門司港レトロ

にも寄与しているのかもしれません。

会員の団体様、会員の皆様、そして事務局として下支えして下さって

おられる門司区役所の皆様に感謝です。

イノベーションギャラリーの展示 1


2018年 2月4日です。 雪が舞って寒いですね。

2月2日、イノベーションギャラリーに展示に参りました。

ものづくりリレー展への展示要請に答えてです。

高校生の作品から企業展へのリレーという事で

以前、北九州オンリーワン企業大賞の受賞企業の展示です。

行った時はウインドだけでしたが、社員の山口君と共に

飾り付けました。

各、企業の方も展示しておられます。

こうして改めて展示してみると我が社の強みや弱みが

改めて見えてきます。

明日からその一つづつを自分の心の底に改めて落とし込む

ために何回かに分けて書いてみますね。

闘創記 49 書道展


2018年 1月26日です。 今朝、リハビリ室で新聞を開いたら

ヨシダギャラリーでの書道展のお知らせが出ていました。

門司の書家連盟の方々の作品展です。

昨日、久々に店に戻った時に 2階のギャラリーに展示して

ありましたので じっくりと見て参りました。

私はとても字が汚いので こうして達筆の方々の書を見ますと

羨ましくもあり、尊敬も致します。

余談ですが、、、

京都で 近藤勇と桂小五郎の書を見比べた事がありますが、

イメージと真逆で 近藤勇の書は繊細で 桂の書は豪快だったのに

驚いた事があります。

 

とあれ、沢山の方々に見て頂けたら嬉しいですね。

闘創記 19 Nさんの事


2017年 12月27日です。入院18日目の夜です。

とても風が強く外はヒューヒュー風の音。

眠られずに起きていると今年亡くなられたNさんの事を思い出します

「Nさん、辛かったろうなあ、、、」と つくづく思います。

 

Nさんはとは9年前に知合いました。

ラジオのプロデューサーの方でした。

その番組にゲスト出演した時に居合わせた学生さん達と

恋愛問題の秘訣なんて話しをして盛り上がっていましたら

「吉田さんの年で20代の学生さん達と談笑して盛り上がっている

なんてビックリです。良かったら毎月ゲスト出演なさいませんか」

と、言われて私とラジオとの関わりを作って下さった方です。

 

2年後、Nさんの計らいで「昭和歌謡ヒットパレード」というコーナ

ーが出来、そこに出演させて頂きそれは(最初半年の予定でしたが)

3年半も続き、毎週日曜日の夜に一回も欠かす事なく生出演させて

頂きました。私にとって恩人でもあります。

 

そのN氏が病に倒れたのは今年春の事、大変お元気だったのですが

いきなりステージ4の膵臓癌になられたのです。

夏に電話でお話ししました。

「 ガンの治療がきつくてきつくて、投薬をやめてもらいました。

やっと自分でトイレに行ける様になりました。」

「Nさん、私は未だ何の恩返しも出来ていませんよ。」

と言うと

「何を仰いますか、吉田さんにはお世話になってばかりで、、

ただね、

娘が来年、受験でしょう。娘が可哀想でね」と、

自分の事よりお嬢様の事を気遣っておられました。

その一月後、訃報が届きました。未だ50代の若さでした。

 

病室でベットの上にいるとやけにNさんの事を思い出します。

私は痛かったとはいえケガですから手術も終えて後は快復に向かって

努力すれば良いだけです。

つまり最大マイナス点は過ぎてゼロ点に向かって努力をすれば良い

だけです。Nさんはそれすら叶わずマイナスの深さを感じながら

最大マイナス点を思いながらベットの上におられた訳です。

精神的にも肉体的にもつらかっただろうなあ、、と深夜の

ベットの中で思います。

そのNさんの葬儀で私はさらにNさんの凄さを知る事になります。

疲れたので続きは明日書きますね。