2021年 1月20日です。庄司小学校の話の続きです。
1997年から始まった門司港レトロ事業は大きな成果を納め
レトロ以前には年間25万人だった観光客が200万人以上の
観光客を集める福岡県でも有数の観光地となります。
その街づくり活動の中で門司港アート村が庄司小学校跡地に
出来たのです。2002年、平成14年の話です。
下記の写真はそのオープンの日に私が撮った写真です

庄司小学校は全国の廃校復活50選にも選ばれて門司港アート村
として復活したのです。私も「門司の躍進を考える会」や
「門司港レトロ倶楽部」の役員として、
街づくり活動に関わっていましたので
オープンの日には参加して感慨無量でした。
下記はその時の写真です。レトロの仲間たちと共に写っています。

また、映画のロケ地としても校庭が利用されました。
平成23年には門司港美術工芸研究所と名を変えて積極的に
活動し、マスコミにも数多く取り上げられましたが、
庄司小学校そのものの老朽化が激しくて
平成28年には門司港美術工芸研究所は
レトロ地区に移転致します。
庄司小学校は再び廃校となっていきます。
そして、令和3年に取り壊されるのですね。
残念ですが安全のためには仕方ないですね。
いつか、その庄司小学校の裏門の上にあった故郷の家について
書こうと思っています。
- 2021年1月18日
- テーマ: 今日のブログ, 思い出話, 門司探索
2021年1月18日です。昨日の続きです。
故郷が庄司小学校の裏門から上がったところでしたので、
祖父、祖母の家に遊びに行った折にはいつも近所の
子供たちと一緒に庄司小学校の校庭で遊んでいました。
これは高校時代、昭和42年頃に自分が撮った
庄司小学校の写真です。

手前に映っている鉄棒で良く遊びました。
砂場ではトンネルを作って2B弾でその砂のトンネルを
爆破したりして遊んでいました。(小学校時代)
今思えば危ない遊びですよね。でも当時はそんな遊びが流行って
いました。
中学時代は校庭でキャッチボールなどで遊んでいました。
夏休みはラジオ体操もあっていましたね。
そんな庄司での生活も20代前半迄で、故郷の家も取り壊され
今は石垣と門だけです。昨日は庄司小学校からその写真を
撮りました。それが下記の写真です。

上の写真の赤い門の上に数軒の家があり、私はそこで生まれました。
今は家も解体して石垣だけになっています。
最初の校庭の写真は 昨日庄司小学校の記念品贈呈所に持参して
大変、喜ばれました。後日、庄司公民館にて展示して下さるそうです
そして廃校となった庄司小学校と数十年過ぎて、私が50代に
なって再び巡り会うとは思っても見ませんでしたが、、
それはまた 明日書きますね。
- 2021年1月17日
- テーマ: 今日のブログ, 思い出話, 門司探索
2021年 1月17日です。今日はありがとう庄司小学校の
お別れ会に姉と参りました。

自分は庄司小学校の卒業生では有りませんが、生まれた故郷が
小学校の直ぐ上でしたので、幼き頃は良くこの運動場で遊んだもので
す。
今日は最後の公開日とあって卒業生の方々が何人か来られて
いました。

中に入るのはヘルメットが必要との事でした。

庄司小学校には数々の思い出がありますので、続きはまた明日、
書きますね。
2020年 12月6日です。明日のFBSのめんたいワイドに
ヨシダ の店頭挨拶が放映される予定です。

先月に収録が終わっていますが、門司の大里特集で
ケン坊さんと共に昭和17年まであった旧門司駅を
訪ねていく番組です。
どの様に編集されているのか分かりませんが、
私も楽しみにしています。
12月7日(月)の16:00〜16:30ごろの放映だそうです。
2020年 10月19日です。昨日、門司港レトロを散策して
いましたら、目新しいモニュメントに出会いました。

11/1から始まる「門司港アートワーフ」の
一つのようです。

全部が展示されるとまた楽しいでしょうね。