2023年 10月3日です。先月、シリーズで書いていた
遠方からのお客様の話の続きです。
思い出の接客物語でもあります。
4年前、関東から1人の上品な女性が訪ねて来られました。
広島の宮島に旅行で来たので、門司まで足を伸ばしてきました、、
とのお話でした。初めてのご来店です。
驚いてお話しをお伺いすると、1か月前に関東の宝石やめがねの
展示会で息子と会ったから、、との事でした。
当時大学生だった息子がめがね業界のレジェンドと呼ばれている
S氏の鞄持ちとして研修同行させて頂いた体験が2度ほどありました。
その際にS氏から紹介されてかつ、お食事を共にしたそうです。
その時の息子の印象が良かったのかどうか、その店を見て見たいと
宮島旅行のついでに来られたとの事でした。
もちろん大学生の息子は関西で不在ですが、話が弾んで、高額な
(ヨシダの主力商品でもある)健康ネックレスまでお買い上げ下さいました。
本当に驚くと共にありがたく、さっそく息子からはお礼の手紙を
出した様です。
その息子も大学卒業後、さらに勉強して言語聴覚士の資格を取り、
大阪のデパートで修行して、この夏から我が社に正式に入社致しました。
下記は一昨日のレトロ警備での親子写真です。
永年、商売をしておりますとこの様な驚きの商いがありますが、
明日は、お会いした事もない東京のお客様とのお話を書きますね。
- 2023年9月26日
- テーマ: ヨシダの歴史, 今日のブログ, 思い出話
2023年 9月26日です。ダークダックスのゾウさんこと
遠山一さんの訃報のニュースが流れました。
ダークダックスは私が大好きなグループで、CD全集も数多く
持って今でも聴いています。
ヨシダは現在創業138年ですが、110周年の時は
ダークダックスさんのコンサートも行いました。
ヨシダのイベントでは最高の2000名様のお客様が集った催しでした。
(ちなみに2位は森光子さんの1200名様です。)
その時には厚かましく「門司港駅」の歌まで歌っていただき、その
録音テープは私の宝物の一つです。
2012年から3年間、クロスFMの昭和歌謡のコーナーで
DJをさせて頂いた折には「ダークダックス特集」を組み、
遠山さんから心温まるメッセージと、
北上夜曲の秘話もご紹介頂きました。
その後も、年賀状も交換しあう間柄でした。
私は特に「絆」という歌が大好きで、結婚式の司会やスピーチでは
その歌詞を引用させて頂いております。
「糸へんに半分と書いて 絆と呼びます。
お互いに半分づつの 糸を結び合うからです、、」
の、素敵な歌詞です。
また、一つ「昭和」が消えた思いで残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
2023年 9月20日です。門司の躍進を考える会を立ち上げて10年
近く経った頃、門司港が門司港レトロとして再生されました。
ハード面は官庁が行ったのですが、ソフト面は民間と一緒にと
いうことになり、街づくり団体が結集して一つにまとまり、
官庁も縦割り組織を解消して加わり、ここに日本で初めてという
官民一体の 門司港レトロ倶楽部 が誕生したのです。
門司の躍進を考える会も最初から参加して、和則さんも私もその
要職に一旦を担うこととなります。
門司港レトロ倶楽部は現在28年目ですが、
写真は2001年の北九州博覧会の 門司区民の日で
野田はるかさんと一緒に司会をさせて頂いた時の写真です。
この時は参加者のほとんどが、私が作詞、和則さんが作曲した
門司港レトロ音頭を踊って下さり、楽しかったです。
街づくりの歴史を書けば50回位かかりそうなので、今回は一旦
休みますが、要は
こんなに街の人が喜んで下さる、、という事を実体験して、
街の活力がなければ、店も発展しないとつくづくと感じた事です。
それが
「地域の人が喜ぶ事をしよう、
地域の人が店を支えて下さる。」という
私が次世代に残す遺訓となったのです。
私やスタッフが出来る事といえば、街美化活動であったり、イベントの
警備であったり些細な事ですが、元気な限り続けていきたいと願って
います。
明日からはまた、日常ののブログに戻りますが、
「遠方からのお客様」 と
「街づくり活動」 は 続編をまた書いてみたいと思っています。
長文のお付き合い、ありがとうございます。
2023年 9月19日です。街づくり活動の話の続きです。
昭和60年、1985年に結成された 門司の躍進を考える会の
最初の活動は 門司港駅でのコンサートでした。
池田会長は音楽にも造詣が深く、鼓弓のコンサートをきっかけに
クラシックやピアノなどの演奏会も行いました。
私がほとんど司会をさせて頂きました。
「音楽会以外に何か楽しいことで街づくり活動がないかね?」の
池田会長の言葉に、
「百人一首大会はどうでしょう?」と、
百人一首のカルタ会も始めました。
写真はその百人一首の読み手さんと和則さんとの写真です。
そうした街づくり活動をしているうちに、、、
続きは明日書きますね。
2023年 9月18日です。父の遺訓の続きです。
父は
「正しい納税をせよ。納税した分だけ店に力が付く」
との遺訓を残しましたが、
私の遺訓はもうすでに決まっています。
それは
「地域の人に喜ばれる事をしよう、
地域の人が店を支えてくださるから。」 です。
なぜその思いに至ったかを何回かに渡り
書きたいと思います。
昭和60年、つまり1985年、私を育ててくださったと言っても
過言ではない吉田和則さんから提案がありました。
和則さんは同じ吉田姓ですが、姻戚関係は無く、広告代理店の
社長さんでヨシダの広告を取り扱って下さっていました。
「門司の街の凋落が激しいから街づくり団体を立ち上げよう」という
提案でした。そして紹介されたのが、
門司で一番大きな企業の池田興業の池田弘社長でした。
池田社長との初対面は衝撃的でした。
「あなたが吉田君ですか、和則さんから伺っています。
ぜひ、友達になって下さい」と、ニッコリ笑いながら
おっしゃいました。
10歳も年上の、東大卒の、社員数1600名の大社長がですよ。
当時私は34歳になったばかりです。
もう恐縮以外、何もありませんよね。
その時、
「この人のもとでなら、何でもしよう」と決めたのでした。
そして池田会長のもとで
「門司の躍進を考える会」が結成されたのです。
まだ門司港レトロが出来る数年前の話です。
写真は林芙美子記念式典の、池田会長との写真です。(2007年)
続きは明日書きますね。