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昭和遊びの祭典


2021年 1月28日です。昨日の休日びに八幡区の

イノベーションギャラリーに参りました。

「昭和 遊びの祭典」の見学です。

いやー 懐かしいものがズラリです。

ヨシダも協力させて頂き昭和のクロックを出品させて頂きました。

紙芝居からレーシングカーまで少年時代を思い出します。

ノスタルジーに浸ったひとときでした。シアワセ!

エミー賞のメダル 4。


2021年 1月27日です。昨日の続きです。

梅田明日佳君がエミー賞の後に差し出してくれたプレゼントは

彼が書かれた3冊の自学ノートでした。

お貸しするのでぜひ、私にも読んで感想を頂きたいとの事でした。

テレビに取り上げられた時には17冊目でしたが、お借りしたのは

23、24、25冊目でした。その3冊には明日佳君がテレビに

取り上げられたきっかけから、その時の様子が記されているそうで

す。さっそく、お借りして読みはじめました。

とにかく字が綺麗なので読みやすいです。

あっというまに3冊共に読み終えましたが、、イヤー凄い!

素直な感想に加えて、分からないところは調べあげて書かれて

います。読みながら笑った箇所も何度もあったし、自分が知らない

事も多々あってとても楽しく拝読しました。

素直な文章には共感と好意が持てますよね。

そして、明日佳君ならではのアイデアと文脈にも感心しました。

小学校5年生の時から始まった明日佳君との交流ですが、

北九州大学に今年から通われる彼との交流はまだまだ続きそうです。

エミー賞のメダル 2。


2021年 1月25日です。昨日の続きです。

4: 2020年2月、その明日佳君の番組が

「文化庁芸術祭 テレビドキュメント部門優秀賞」

を受賞されて(少し出させて頂いたにすぎない)私まで表彰の

記念品が送られてきました。

5:4月、同作品の英語版が 米国の

「ニューヨークフェスティバル賞銅賞(論説・視点部門)を受賞。

6: 6月 同作品が米国の 「国際フィルム・ビデオ祭」で

「教育・個人の発展部門」でクリエイティブ・エクセレンス賞を

受賞。

7: 7月 明日佳君の著書 「僕の自学ノート」が

小学館から出版される。

8:9月  同作品の英語版が 東京都立高校の英語教材として

採用される事が決定される。

9:10月 同作品がテレビ表彰の最高峰 フランスのエミー賞の

最終選考4作品にノミネートされる。

10:惜しくも受賞は逃しますがノミネートされただけでも

快挙でそのメダルが2つ佐々木プロデューサーに送られて

くる。

(続きはまた明日書きますね)

庄司小学校 3。


2021年 1月20日です。庄司小学校の話の続きです。

1997年から始まった門司港レトロ事業は大きな成果を納め

レトロ以前には年間25万人だった観光客が200万人以上の

観光客を集める福岡県でも有数の観光地となります。

その街づくり活動の中で門司港アート村が庄司小学校跡地に

出来たのです。2002年、平成14年の話です。

下記の写真はそのオープンの日に私が撮った写真です

庄司小学校は全国の廃校復活50選にも選ばれて門司港アート村

として復活したのです。私も「門司の躍進を考える会」や

「門司港レトロ倶楽部」の役員として、

街づくり活動に関わっていましたので

オープンの日には参加して感慨無量でした。

下記はその時の写真です。レトロの仲間たちと共に写っています。

また、映画のロケ地としても校庭が利用されました。

平成23年には門司港美術工芸研究所と名を変えて積極的に

活動し、マスコミにも数多く取り上げられましたが、

庄司小学校そのものの老朽化が激しくて

平成28年には門司港美術工芸研究所は

レトロ地区に移転致します。

庄司小学校は再び廃校となっていきます。

そして、令和3年に取り壊されるのですね。

残念ですが安全のためには仕方ないですね。

いつか、その庄司小学校の裏門の上にあった故郷の家について

書こうと思っています。

庄司小学校 2


2021年1月18日です。昨日の続きです。

故郷が庄司小学校の裏門から上がったところでしたので、

祖父、祖母の家に遊びに行った折にはいつも近所の

子供たちと一緒に庄司小学校の校庭で遊んでいました。

これは高校時代、昭和42年頃に自分が撮った

庄司小学校の写真です。

手前に映っている鉄棒で良く遊びました。

砂場ではトンネルを作って2B弾でその砂のトンネルを

爆破したりして遊んでいました。(小学校時代)

今思えば危ない遊びですよね。でも当時はそんな遊びが流行って

いました。

中学時代は校庭でキャッチボールなどで遊んでいました。

夏休みはラジオ体操もあっていましたね。

そんな庄司での生活も20代前半迄で、故郷の家も取り壊され

今は石垣と門だけです。昨日は庄司小学校からその写真を

撮りました。それが下記の写真です。

上の写真の赤い門の上に数軒の家があり、私はそこで生まれました。

今は家も解体して石垣だけになっています。

最初の校庭の写真は 昨日庄司小学校の記念品贈呈所に持参して

大変、喜ばれました。後日、庄司公民館にて展示して下さるそうです

 

そして廃校となった庄司小学校と数十年過ぎて、私が50代に

なって再び巡り会うとは思っても見ませんでしたが、、

それはまた 明日書きますね。