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闘創記 46 セミナー参加


2018年 1月23日です。 早朝、病院に迎えに来て貰って

遠賀郡岡垣町の はつしろという料亭旅館にいます。

今日から明日迄の2日間、赤井先生の「人間力アップセミナー」に

杖付きで(笑) 参加のためです。

「病院で寝ているのなら車椅子でもいいから参加しないか?」の

お誘いを受けての参加ですが、車椅子無しで杖一本の参加です。

この研修は 闘創記の1〜6回で書いたDMPの研修を赤井先生が

2日間に編集し直したセミナーで我が社もほとんどの社員が

参加しているセミナーです。

ケガをしてなければ東京ビッグサイトで明日から開催される

国際宝飾展に行くはずでしたが、こちらのセミナーに参加する

事となりました。

経営者3名、経営幹部7名の 合計10名で 今日、明日の2日間

親孝行など原点に戻って学びたいと思います。

闘創記 33 音楽


2018年 1月10日です。ケガをして丸ひと月経ちました。

「 これを機会にゆっくり休養をしたらいいですよ」と、皆さんは

言って下さいますが、あまりゆっくり寝ている時間は少ないです。

かといって、テレビやDVDを見る訳でもなく、転院してきてからは

音楽番組が楽しみの一つではあります。

 

音楽といえば、東日本大震災があった2011年の12月から

クロスFMの北九魂という番組の

「 昭和歌謡ヒットパレード」のコーナーでDJをさせて頂きました。

プロデューサーのN氏に誘われて出演させて頂いた訳ですが、

ナビゲーターの鶴田弥生さんのリードが素晴らしくて 半年の予定が

3年半もさせて頂きました。

全て生放送で一回も欠かす事なく全160回をさせて頂いたのですが

その音源は全て私のアイパッドの中に入っています。

「 いつか時間が出来た時にでも聴き直してみよう」と、そのままに

していたのですが、どうやらその時期がきたようです。

病室で電気治療などを一人でする時間があります。

約小一時間かかりますので、そこで聴くようにしました。

最初の第一回から聴き始めて 今日で22回まで聴いています。

1日に2〜3話を聴いていますが、自分が選択した曲ですから

当然、自分の好きな曲ばかりですよね。

数年前の自分のお喋りと音楽で癒されるという不思議な空間で

治療をしている自分です。

闘創記 32。 家が見える。


2018年 1月9日です。ケガをして今日でひと月経ちました。

新しいJ病院に転院して4日目です。

個室に入っていますが、廊下など車椅子で自由に動けます。

その廊下の窓からは前のS病院と同様に関門海峡が見えます。

そしてよく見ると我が家も(我が店も) 見えるのです。

真ん中の緑と茶色の建物が我が家(我が店)です。

しかも自分が寝る部屋や仏間の窓まで望めます。

 

私は店の3階に住居を構えていますがそれには訳があります。

「職住一体」にすることにより、私は小さい時から淋しい思いを

した事がありません。商売という職業上、父母は忙しかったのですが

店の人達が良く一緒に遊んでくれました。

店の人達を含む大家族の中で育った訳ですからそれが

とても楽しかったのです。

自分の子どもたちにも その経験の方が良いと思い職住一体を

貫いているのですが、その家が見える病院に入院して こうして

眺めていると早く良くなって戻りたいという思いが一層強く

なります。車椅子から松葉杖に移行しての併用のリハビリが続きます

が、2月上旬の退院を目指して頑張ります。

闘創記 20 Nさんからの贈物


2017年 12月28日です。入院19日目、昨日に続いてNさんの

話です。

お亡くなりになられて行った葬儀でNさんの自ら作られたパンフレッ

トが配られました。

死期を悟られておられたNさんからのパンフレットは北九州の景色を

バックに感謝の言葉が綴られていました。

中を開けると、、、

読書家であられたNさんのお薦めの本の解説に続いて

辛かった闘病の時に30分だけは辛さを忘れられたという

落語の解説でした。

亡くなられてなお、自分に縁のあられた方に

「辛さをひとときでも忘れる事が出来るという落語」の10話の紹介に

Nさんの思いやりと優しさに 涙が出て仕方ありませんでした。

あるセミナーで習った 「 与える 」という言葉と実行に

頭が下がりました。

そんな事を思い出させるベットの上ですね。

闘創記 19 Nさんの事


2017年 12月27日です。入院18日目の夜です。

とても風が強く外はヒューヒュー風の音。

眠られずに起きていると今年亡くなられたNさんの事を思い出します

「Nさん、辛かったろうなあ、、、」と つくづく思います。

 

Nさんはとは9年前に知合いました。

ラジオのプロデューサーの方でした。

その番組にゲスト出演した時に居合わせた学生さん達と

恋愛問題の秘訣なんて話しをして盛り上がっていましたら

「吉田さんの年で20代の学生さん達と談笑して盛り上がっている

なんてビックリです。良かったら毎月ゲスト出演なさいませんか」

と、言われて私とラジオとの関わりを作って下さった方です。

 

2年後、Nさんの計らいで「昭和歌謡ヒットパレード」というコーナ

ーが出来、そこに出演させて頂きそれは(最初半年の予定でしたが)

3年半も続き、毎週日曜日の夜に一回も欠かす事なく生出演させて

頂きました。私にとって恩人でもあります。

 

そのN氏が病に倒れたのは今年春の事、大変お元気だったのですが

いきなりステージ4の膵臓癌になられたのです。

夏に電話でお話ししました。

「 ガンの治療がきつくてきつくて、投薬をやめてもらいました。

やっと自分でトイレに行ける様になりました。」

「Nさん、私は未だ何の恩返しも出来ていませんよ。」

と言うと

「何を仰いますか、吉田さんにはお世話になってばかりで、、

ただね、

娘が来年、受験でしょう。娘が可哀想でね」と、

自分の事よりお嬢様の事を気遣っておられました。

その一月後、訃報が届きました。未だ50代の若さでした。

 

病室でベットの上にいるとやけにNさんの事を思い出します。

私は痛かったとはいえケガですから手術も終えて後は快復に向かって

努力すれば良いだけです。

つまり最大マイナス点は過ぎてゼロ点に向かって努力をすれば良い

だけです。Nさんはそれすら叶わずマイナスの深さを感じながら

最大マイナス点を思いながらベットの上におられた訳です。

精神的にも肉体的にもつらかっただろうなあ、、と深夜の

ベットの中で思います。

そのNさんの葬儀で私はさらにNさんの凄さを知る事になります。

疲れたので続きは明日書きますね。