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ラジオの話 その7


2017年 4月11日です。 ラジオの話の続きです。

クロスFMの北九州魂の番組内で 鶴田弥生さんとの楽しい昭和歌謡

ヒットパレードをお喋りさせて頂いて数カ月後、毎日新聞に

大きく取り上げられたのです。

しかも3面のトップにです。地方版だけではなく、大きく報道された

ようです。これだけでも光栄なのにそれを見られた 米良美一さんから

是非、番組に出たいというお申出がありました。

米良美一さんも昭和歌謡の名曲を歌っていらっしゃったのです。

2週にまたがり 米良美一さんの特集を放映させて頂きましたが、

米良さんとは(学校は違えど) 同じ養護学校の出身という事で

意気投合、その年の秋にはヨシダ主催で 米良美一コンサートを

開催する様になったのです。

米良さんにはめがねのご縁も頂くことも出来ました。

( 続きは明日書きますね)

ラジオの話 その6


2017年 4月10日です。ラジオの話の続きです。

鶴田弥生さんとのコンビで始まった昭和歌謡ヒットパレードの

コーナーはとても楽しくあっという間に数ヶ月過ぎました。

鶴田さんとの会話と解説は本当に楽しかったなあ。

グループサウンズや ザ・ピーナツなど1960年代からの

アーティストを主に取り上げて 自分自身、楽しみながら番組を

構成しておりましたが 強力なる助っ人が現れました。

中嶋ひろしさんです。中嶋さんはCDやレコードのお店の方なので

楽曲を提供して下さるのです。そのご協力は番組終了まで3年半も

続き、本当に感謝しています。

数ヶ月過ぎた頃、思いもかけない嬉しい出来事がありました。

それは 明日また書きますね。

ラジオの話 その5


2017年 4月9日です。ラジオの話の続きです。

2011年12月,クロスFMにて毎週日曜日の夜、北九魂という

番組が放送されており、美人の鶴田弥生さんがナビゲーターを

担当されていました。その21:20からの20分が 昭和歌謡ヒットパレー

ド というコーナーになり、私が出演する事になったのです。

もちろん鶴田弥生さんの番組ですから鶴田さんとの出演になるわけで

すが とにかく鶴田さんは気配りがきく素敵な女性です。

素人の私を上手にリードして下さいます。

20分間でワンアーティスト、そしてそのアーティスの曲を3曲放送

しながら、解説とお喋りをしていくというスタイルです。

最初のアーティストには ジャッキー吉川とブルーコメッツを選び

放送がスタートしました。

プロデューサーのN氏とは 半年間の約束でしたが、まさかそれが

3年半、160週も続くとは私も思ってもみませんでした。

( 続きはまた明日書きますね)

ラジオの思い出 その4🚐


2017年 4月8日です。ラジオの話の続きです。

2011年, 東日本大震災の後でテレビやラジオからは 坂本九さんの

♫ 見上げてごらん夜の星を ♫   や  ♫ 明日があるさ♫  など  昭和歌謡が

流れていました。

私は 昭和歌謡のラジオ番組が出来ないかなあ、、と考えて 友人の

N氏達とプランを練って行動しました。

何社か提供スポンサーも確保しましたが、その最終段階でスポンサー

になって下さったあるメーカーさんのひとことでこの計画を断念しま

した。それは

「 ヨシダさんとのお取引を継続したいからスポンサーになりましょ

う」・・・というひとことでした。

義理は借りたく無い  と 思いましたし 、 綺麗ごとと笑われるかも

知れませんが、単純に

「 昭和歌謡が今の日本にわずかでもパワーを与えるかもしれないか

ら力を合わせましょう」という趣旨の協力者が欲しかったのです

。 でも 世の中って思いがあれば通じるのですね。

私が計画を断念した時、前回に書いた、私をクロスFMの門司港レト

ロ紹介コーナーに登場させて下さったN氏が

「 吉田さん、20分の番組でよければ昭和歌謡コーナーを作りません

か?」 と、声をかけて下さったのです。

そしてクロスFMの北九州魂という番組の一部に 昭和歌謡ヒットパレ

-ドというコーナーができたのは テレビで 宮本隆二さんの人気歌謡番

組「モクハチ」が放映され始めた一月後の 2011年12月の事でし

た。

( 続きはまた明日書きますね)

ラジオの思い出 その3


2017年 4月7日です。ラジオの話の続きです。

東日本大震災の時に被災者の方々が欲しかったものはなんだったので

しょうか? という記事を何かで読んだのです。

1 番が  食料、

2 番が  確実な情報

ここまでは分かりますよね。3番目が意外でした。

それは 「 明るい歌 」だったそうです。

当時、どのテレビを見ても 震災の被害の悲惨な情報ばかりでした。

「 被災にあっている私達にとって 悲惨なニュースばかり見せつけら

れるのは苦しい。それよりも戦後に流行った リンゴの歌 の様な

明るい歌を聴きたい」

という記事でした。

このブログを見て下さっておられる皆様、覚えておいででしょうか

震災の後に 坂本九さんの 「 明日があるさ 」や 「 見上げてごらん

夜の星を」など 昭和の名曲が放送メディアから たくさん流れて

いた事を。

「 これからは昭和歌謡が見直される日が来る 」

と、私は思って行動に移しはじめました。

( 続きは明日書きますね)